『デンマークを知るための68章』より抜粋

デンマークを知るための68章
村井 誠人 (著)
明石書店 (2009/6/30)

自分用の読書メモ。抜粋、たまに要約、一言感想。

  • 第1章 デンマークの地勢−浅海に散らばった土塊の国−
    • 平らなパンケーキ型の国土がどうやって出来たか興味深い。
    • デンマークのどこを探しても、海岸線から五二キロ以上離れた場所を見出すころはできない。』
    • 『・・・・それらが主に「削る」ことで出来上がった地形であるのに対し、そこで削られた岩や地塊はさらに平野を外側へと移動する氷床によって運び去られ、その拡大が限界に達するあたりで氷床が融け、後退する際に、置いていかれて「堆積」されるのである。』
    • デンマークの位置とは、最後の氷期に氷床が目いっぱいに広がった南西方向の最終地点にあって、スカンジナヴィア半島やバルト海地域から運ばれてきた土砂・砂礫・岩などが、さまざまな粘土層、石灰岩、すい石(フリント)からなる土壌の基層の上に、置き残されたところにあたっているのである。氷床の運搬・体積作用、さらにその融解時の水流と氷河期の終焉期に向かって起きた海水面の上昇によって、現在のデンマークの地形が形成されていったのである。』
  • 第17章 68年の世代−デンマーク社会を変えた人々−
    • 68年の世代(オーテ・オ・トレサネ)。『西欧における人権、自由、男女間の平等、地方分権、先住民の権利、弱者の権利といったことが話題になるときは、この年に言及されることは必至である。・・・・デンマークでいう「68年の世代」とは、パリのカルチェラタンに発する「五月革命」の影響を受け、当時の学生ら若い世代が、既成社会の通年や慣習を洗いなおし、刷新を目指して「若者の蜂起」と呼ばれる状況を作り出して、人間の善意というものがつくりうる最上の楽園のようであった豊かで穏やかな"和み"のデンマーク社会から、さらにそこに内包された「不自然」とか「不自由」「差別」などの撤廃を求め"過激な"示威行動を展開した。・・・・大学のシンボルの鷲の像に北ヴェトナムの国旗が被せられたりしたものの、学生たちは「予定」を終え、夕方には穏やかに引き上げていった。』
    • 大体何十年代という形で大雑把に年代が設定されているコペハンリングですが、ジークフリートだけは明確な年代設定があって、それが1968年です。後半の記述は、なんだか「通いの軍隊」みたいな風景ですね。
    • ここのエピソードで面白いのは、旧世代(閉じた中での豊かな社会)→86年の世代(豊かさが存在してこその反抗と革命)→新世代(反抗への反発)みたいなことを学生たちの服装で説明しているくだりですね。
    • 『彼らの風体は、社会の安定さゆえに苛立ち、抵抗するヒッピーのようであり、多くの男子学生の髪は肩まで達し、女子学生のそれは「洗い髪」のように無造作に背までのぼされていたし、スカートをはく人もいなかった。・・・髭面のジーンズ姿で、手巻きタバコやパイプをくわえ、政治を話題にして日々を過ごす学生たちに対し、教授たちは身ぎれいでネクタイをしていた。・・・・』16年後の再訪にて『そこには整髪しさっぱりとした身なりの男子学生、手入れの行き届いた美しい髪になんとスカートをはいてさえいる女子学生がいたりして、驚かされた。・・・・「あの、私の知っている学生たちはどこに行ってしまったのか」・・・・助教授を見て、すべてが氷解した。髭面にリア王のような髪、ラフなジーンズ姿は、おなかが出たり禿げ上がってきているとはいえ、懐かしい私の知っているあの学生たちの姿であった。・・・・ネクタイを締めた60歳代の教授たち、髭面にジーンズ姿の中堅・若手教員、そして身なりの小ざっぱりした学生たち、という大まかには三種類に分類しうる姿が三層になって「共棲」していた。』
    • 『「自由な開かれた社会」の実現に向けた動きのなかで、スノビズム(俗物根性・紳士気取り)が徹底的に槍玉に挙げられた。ことに女性が美しくすることは男性に媚びることであり、年千年にも及ぶ人間社会の犯罪「男性支配」に迎合する卑しき行為であるとし・・・・』なんか懐かしい言説を見た。そういえば昔は聞いたなあ、こういうの。今聞くと「その発想は無かった!」級ですね。思えば遠くに来たもんだ。これってつまり、現代社会はこの問題を克服したってことですかね。今は(現代日本的には)なんですかね。女性が美しくして自己肯定をしている姿は、コミュニケーション不全な層に無用な劣等感を与えるので控えましょう的な感じですかね(←ネット世論)。
  • 第18章 デンマーク移民問題
    • 現代デンマークといえば、ちょっと気をつけてニュースを見てると目立つのが移民問題、あるいは移民が背景にあってややこしくなっている事件ですね。この章によると、デンマーク人道主義の観点から、あるいは戦後の労働力不足解消のために積極的に移民を受け入れてきた歴史があり、また最近では難民受け入れ、さらに移民の家族呼び寄せなどが増えている。移民向けのデンマーク語教育(無料で3年間)や職業訓練、雇用促進、福祉などの政策がとられ、人口の8%が移民とその子孫(新デンマーク人)であり、多文化社会を形成している。移民の出身国はトルコ系、パキスタン、旧ユーゴ、イラクソマリアポーランドベトナム、イラン、レバノンなど。長い間移民の受け入れと統合につとめてきたデンマーク社会であるが、国内的には移民への手厚い福祉対策への反発があり、2002年以降は外国人受入数を制限するようになった。
    • またこれは次章または本書全体からですが、文化的な摩擦、特にイスラム教徒の宗教上の習慣と、自由な「デンマークらしさ」、特に言論において特定の宗教を特別扱いはしないという姿勢が対立する事件も起きている。日本人の感覚からすると、そこまでムキにならんでいいのに、あるいは嫌がってるのがはっきりしてるんなら止めればいいのに、というようなものなんですけど。
    • この手の話はいろいろ伝わってくるんですが、直近の不景気でさらに状況は悪化している印象があります。要は、余裕が無くなると、税金の使い道も取り合いになるし、それまでは許せた違いも許容出来なくなる的な心理なんでしょうけど。日本でも似たような現象がありますね。
  • コラム「グロントヴィのキリスト教観と北欧神話感」
    • 北欧神話は神々と巨人族との戦いをモチーフとしており、普通それは、人間vs自然、つまり先人たちと自然の脅威との戦いの表象であると理解される。・・・・グロントヴィは、オージンやソールなど北欧の神々の姿のなかに「愛すべき子ども」としての姿を発見したのである。・・・・子どもの中に神性を見出すという発見でもある。子どもは神々と同様、生き生きとして愛に満ち、自由闊達にそしてしばしばわがままに生きている。ところが、時がおとずれると、目的に向かってまっしぐらに、きわめて合理的に生きる巨人(=大人)に呑み込まれてしまう。それが神々の滅亡(ラグナロク)の意味するところである。』
    • 北欧神話の本場のリング絡みで思うことがあるのでメモ。
  • 第40章 フォルケホイスコーレ−「国民高等学校」の過去と現在−
    • 『フォルケホイスコーレとは、成人教育を行う公立ではない学校であり、全国に79校存在している。主に寄宿制で、二ヶ月以上の長期コースと数週間の短期コースとに分けられる。・・・・芸術、宗教、政治、社会、社会、文化、スポーツ、国際理解など、多岐に渡るコースが用意されている。・・・・学歴も経歴も問わないフォルケホイスコーレは、新たな可能性を求める多くの人々に大きな影響を与えうるものであるが、また同時に、この学校はデンマークの近代化の歴史においても大きな役割を果たしてきた。』
  • 第41章 ホイスコーレ歌集(サングボウ)−人の集うところに歌声あり!−
    • デンマークで100年以上も前から出版されてきた歌唱集で、国内では最も普及している歌集である。・・・ホイスコーレやほかの各種の学校にとどまらず、公民館やその他の場所で、人々が集う会やパーティなどで、その歌唱集が開かれて人々は歌うのである。一般の家庭にそれがあることなど、なんら珍しいことではないし、デンマークの企業や会社がそれを備えていることもある。』
    • デンマーク人は何世代にも渡ってこの歌唱集を使ってきた。・・・・彼らにとってこの歌唱集を開いて歌うことは生活の一部になっていると言ってよい。とにかくデンマーク人は歌うことが好きだ。』
  • 第43章 デンマークの近・現代音楽−デンマーク王立音楽院
    • 当blogのテーマ的にディスク紹介等を通じて詳しく紹介することがあると思うので今回は簡単に。
    • カール・ニルセン。『非伝統的な調性の導入や、主題を何層にも多声に展開させていく交響楽的作曲方法およびそこから生じる緊張感、リズムや強弱の急激な変換など、ニルセンの音楽は20世紀初めのデンマークではまったく耳慣れない斬新性を持っていた。・・・・国外ではその特異性ゆえになかなか受け入れられなかったという面もある。』
    • 他に名前が挙がっているのは、ルーズ・ラングゴー(白鳥になり損ねたみにくいアヒルの子)、フィン・ヘフディング、ヴァウン・ホルムボー、ヘアマン・D・コペル、ニルス・ヴィゴ・ヴェンツォン、ピア・ノアゴーなど。ほとんどはDacapoのディスクで聴いたことがありますが、ベタなロマンチシズムと前衛の同居がデンマーク的であるという印象を私に与えてくださった方々です。
  • 第44章 「妖精の丘(エルヴァホイ)」−デンマークの国民的祝祭劇−
    • 1928年DKTにて初演、200年に渡る1000回以上の上演歴がある。国王フレゼリク6世の娘と甥の皇太子(後のクリスチャン8世)の結婚を記念する祝祭劇として作られた。ヨハン・ルズヴィ・ハイベアの台本と、フリードリヒ・ヴィルヘルム・クーラウの序曲と付帯音楽から成る、付帯音楽付の演劇。楽曲の大部分に中世以来の古いデンマークの民謡のメロディを採用している。序曲と終曲に王室歌(国歌)である「国王クリスチャンは・・・・」のメロディが入り、ここでは観衆は全員起立することになっている。
    • ストーリーは、登場人物が錯綜してて一言で説明するのは難しい。妖精の王やら娘やらの伝説のある地と、そこを訪れた王と、意に沿わぬ結婚をさせられそうなカップルと恋人たちと、人違いが織り成すメロドラマ、王の機転と寛容を示す大円団付って感じかな。
  • 第45章 デンマーク王立バレエ団
    • ブアノンヴィレ様式。『軽妙でしなやかな動きの連続とパントマイム的な表情の豊かさ(腕は常に低い位置に置き、視線をその手の方向に向けることによって高貴さよりも優しく温和な性格を表現する)などによって特徴づけられる。』
  • 第53章 デンマークで絵を描く−ある画家の独白−
    • 『この国では抽象画がかなり一般的ですから、印象派風の絵を描くということは、今日では異端と言わないまでも、孤立した立場に立つことになります。』どひえー。
  • 第65章 想像を超える家族模様−さて、家族構成員の名字は?−
    • 夫婦別姓が当たり前で、離婚と再婚が多く、結婚をしていないパートナー関係も認められているデンマークにて、
    • 『「お子さんはいらっしゃいますか」という質問に対して、・・・・「私には娘が一人、夫には息子が一人」、つまりはそれぞれの連れ子ということになる。そして・・・・「私たちには娘が一人、夫には息子が一人」と、娘は夫婦の子どもであるが息子は夫の連れ子と理解できる。家族という単位が血のつながりによって成り立っているわけではないということに非常にオープンであると言えよう。』
    • シュールなような合理的なような、そんな会話。このくらい当たり前になれば子どもも変な思いをしなくて済むのかも。