マダム・バタフライ@春秋座in京都

今年で私にとっては3回目、このシリーズとしては4回目になる北白川は瓜生山・京都造形芸術大学の京都芸術劇場(春秋座・studio21)(←名前長い)のオペラシリーズの蝶々夫人に行って参りました。

この春秋座、七〜八百席の小さな劇場ですが、歌舞伎仕様になっておりまして、客席を横切る*1花道があり、赤い花街風の提灯にぐるりと囲まれた空間など、独特の雰囲気であります。オケピも切ってありますが、音響はクラシックをやるには響き過ぎる部類で、編成を減らして独自の工夫の元に演奏されます。と言うと、悪条件の中で我慢して聴くような印象を持たれるかもしれませんが、いやいや、むしろ私はここで聴くオペラは音響含めて大好物でありまして*2、読者諸氏にも自信を持ってお薦め出来ると考えている次第です。


今回トータルでかなりの出来だったのですが、まず効果的だったのが演出です。この春秋座の空間をうまく使ってあるんですね。幕が開くと長崎の小高い丘の上にある蝶々さんとピンカートンの新居となるわけですが、これは畳と生け花を置いただけのミニマルなもの。このミニマルなセットは、日本の伝統的な舞台芸術におけるそれを思わせます。ここにマジックミラー風の、向こうが透けて見え、かつ手前も鏡のように映るという黒い薄壁と、同じく黒い紗幕が障子として開閉して変化を添えます。このマジックミラーは去年アドリアーナ・ルクナヴルールでも見たアレですね。小ネタですが、この障子を舞台上の登場人物が閉めるときのジェスチャーというのが、無いものをあるように見せる落語の所作のようで面白かったです。

また着物が全て本物でして、これは日本の公演であっても珍しいことだと思いますが、質感がちゃんとしてるのはいいもんです。京都ネットワークの存在でしょうか、例えば蝶々さんの親戚兼同僚の女性コーラスは、どこぞの花街から調達してきた揃いの踊りの着物を着て現れるのですね。蝶々さんの白無垢(1幕)はちゃんとした織で綿入れの裾になってるし、2幕以降の帯・着物ともに蝶々柄の着物も若奥さんが着てて可笑しくない色柄仕立てだし*3、鈴木の着物がどこぞの玄人みたいになってたりしないし。着付は玄人っぽい、つか踊りの着付だなあーと思ったけど、舞台なんだから、まあそれはそれでいいか。結婚の公証人(だっけ?)が冠載せた神主の正装で現れるのは「そう来たか!」「でも違うだろ〜」と思いつつ、ゲラゲラ笑わせてもらいました。

春秋座のオペラでは花道を使うのはお約束ですが、普段はサービスカットというか「ちょっとだけよ」な使い方なのですが、今回は花道を使う頻度が非常に多く、蝶々さんの家を訪れる客人はここを通って訪問することになっています。揃いの着物を着た女性コーラスがここに並んで登場の歌を歌ったときには、そのバックの赤提灯の並んだ背景とも相まって視覚的なゴージャスさは最高潮に達し、この箱ならではの音響のリッチさの中で、花道と舞台の2方向からの歌声に満たされ、客席はリアル結婚式のような晴れがましい空気に包まれました。これはちょっと、逆に、スタンダードなオペラハウスでやるオペラにはあり得ないゴージャスさでしたね。最高席でも1万円以下で見れる低予算オペラシリーズの筈なのに。七百席の会場でオペラって時点でものすごい贅沢だけど。


さて演奏の方ですが、まず蝶々さんを歌った川越さん。私はこの方は結構注目しておりまして、聴くたびに何かある人です。すごく掴みのあるタイプで歌いだしてすぐに夢中になるような人とは違うんですが、ドラマの終盤で必ずホロッとさせられるんですよね。今回も子供と分かれる決断をするところで目頭が熱く。どちらかというと線が細く*4繊細で丁寧な歌唱の人で、それは中低音の多い蝶々さんのような役をやっていてさえそう思うんですが、しかしそれは悪いことではなく、ドラマティックな表現を得意とするソプラノがドスが入りがちなことを思うと(そしてそれはティーンエイジャーの蝶々さんなのかという疑問が)、そうならずにホロッとさせる表現力というのは結構レアなのではないかと思います。

スズキをやった相田さんは満足だが、もっと違う系統の役で聴いてみたいな。ピンカートンは、私は主役テノールに拒否感が出やすい人間なのですが、それは私の個人的な許容範囲の狭さゆえで9割出るので出る方が当たり前って感じなのですが*5、それが出なかったので、まあ良い方ではないかと。シャープレスは声質は好きなタイプで歌唱も手堅い。ケイトが笑っちゃうくらい男前。このまま宝塚の男役に転進出来そうなくらい男前*6。ゴローはひょろひょろと正しいゴロー。神官・ヤマドリを歌った松山さんの深々とした声が心地よい。

結構ぐっと来たのが、蝶々さんが「ママー!」って寄って来た子供*7を1度追いやって、でも子供は戻って来ちゃうんだけど、そんときに蝶々さんが抱きしめたいんだけど、躊躇って躊躇って、挙句突き放すというのは、目隠しよりこっちのがリアルというかそりゃそうだよなあと思ったのだが、これも版の指定だろうか。確かに目隠しした子供がそこにいるまま自害する方がステージ的な悲劇性は高まるのであるが。

演奏は、私はプッチーニの中でもトゥーランドットとバラフライはもう大好きでもう酔いまくりなので、あの音楽を聴いてるだけで幸せなので自然に評価が甘くなるのであるが、それ差し引いても、実に良かったと思う。うまくハマったときはすごく良い、ここの音響もすごく楽しめた。この編成減らしバージョンを良く響く箱で聴くってのも、独特の魅力があっていいなあ。贅沢を言えば1幕最後の二重唱のときのオケと舞台の噛み合い具合がもっとハマれば絶妙に良かったと思うが、そりゃ「あとココが」の法則*8ってもんだ。

G.プッチーニ 作曲 歌劇「蝶々夫人」全2幕 <原語上演・字幕付>
2013年7月6日(土) 17:00 京都芸術劇場 春秋座

演監督:松山郁雄
指揮:牧村邦彦
演出:井原広樹
所作指導:飛鳥左近
美術・いけばな:笹岡隆甫
衣装:飛鳥珠王
照明:原中治美
舞台監督:飯田貴幸(ザ・スタッフ)
音楽コーチ:松下京介
演出助手:唐谷裕子
スーパーバイザー:飛鳥峯王


蝶々夫人…    川越塔子
ピンカートン…  大澤一彰
シャープレス…  藤山仁志
スズキ…     相田麻純
ケイト…     浪川佳代
ゴロー…     冨田裕貴
ボンゾ…     安東玄人
神官・ヤマドリ… 松山いくお
合唱:ミラマーレ・ヴィルトゥオーゾコーラス
演奏:ミラマーレ室内管弦楽団


企画制作:NPO法人 ミラマーレ・オペラ
主催:京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター
プロデューサー:橘市郎、舘野佳嗣
協賛:株式会社 進々堂
協力:未生流笹岡、日本舞踊飛鳥流
後援:KBS京都、京都新聞社京都市教育委員会イタリア文化会館-大阪


ところで、ピンカートンが終幕のアリアを歌わないなとか、ケイトってこんなに喋ったっけ?と思ったら、初演のちょっと後バージョンという、よく使われているのとは違う版を使ったのだそう。指揮者の牧村氏が版について述べている箇所を、リンクが切れても読めるように引用しておきます。

http://www.k-pac.org/performance/20130706b.html
僕は『蝶々夫人』には、こだわりがありまして、
初演から少し改訂したバージョンでずっと続けています。
これは普段、上演される「現行版」という譜面より
少し改定した形で演奏しているのですが、
このバージョンは、かなり日本人、東洋人が蔑視されていて、
ピンカートンというテノールが蝶々さんに
随分と、ひどいことをするのでございます。
その辺りをクローズアップするには、
このバージョンが良いのではないかと思っています。


またピンカートンがアメリカに帰った後に結婚する妻・ケイトは、
「現行版」の2幕2場では、しゃべる所は数小節しかないんです。
でも初演版では、すごく長くしゃべっている。
彼女が長くしゃべるがゆえに
蝶々さんの悲劇性がより増していくという・・・。
僕にとっては、とても説得力のある書き方をしているので、
そちらを使用しています。


ピンカートンは、ひどい人なのですが、
ケイトは輪をかけてひどい・・・、
それは冷酷とかではなくて、とても正義感が強い・・・
正義感の強い人の象徴みたいな女性です。
ピンカートンと蝶々さんが再会した時、
初演版では、ピンカートンはアリアを歌わないのですね。
実は胸から財布を出して「これで何とかしてくれ」って言うのですよ。
それはあまりにもひどい、ということでカットされたんです。
それで、後悔のアリアを歌う、
というのが現在のバージョンです。
そしてケイトの冷たい正義感が聴衆の涙を誘ってしまう。
そのシーンはどうしても入れたかったのです。


さらに今回は、僕がやってきた初演版に近いバージョンと
この春秋座という場所に一番そぐった
コンパクトで凝縮されたバージョンとして
手を入れて、新たに作ってみました。

*1:いや、「縦切る」と言うべきか?

*2:ただしそれは、この場所の特質をちゃんと踏まえた上で適正に演奏された場合に限って出る効果なのかもしれません。そんくらい他のクラシックのホールと違います。

*3:今の着物よりちょっと袖が長いのも正しい。

*4:ところでオペラで「線が細い」と言うと、声量が無いことを遠回しに言う表現だそうだが、ここでは本来の意味であるので念のため。

*5:もうちょっと距離感を置いて聴けばいいのにと自分でも思うのだが、出来ずに好き嫌いの両極端に振れる「つんのめり型」鑑賞になってしまう。

*6:冷酷な正義感の人だから、かも。後述。

*7:小さなことだが、子供に声を出させる演出は初めて見た気がするが、これは後述する版の指定なんだろうか。演出がやってるんだろうか。隅田川か。

*8:完成度が高いほど、「あとココが」という箇所が挙げられるようになるという逆説的な現象を表す法則。