オーフス・ジークフリートレポ(2)

下書きで放置していたオーフス・ジークフリートレポを発掘してみました。ファーストインプレッション時レポ(1)はこちらです。書き半端だったからすごく細かく書いてるとこと全然触れて無い箇所あるけど、このままだと永久お蔵入りしそうだから、そのままで公開します。

オーフス・ジークフリートの映像が一部こちらで見れます。この映像をイメージしながらどうぞ。


まず演出ですが、一字一句リブレット通りのプロダクションです。今後リングの王道演出はと問われたら、迷わずオーフスリングを挙げることにします。どんくらいリブレット通りかというと、人物の動きはもちろん、3幕3場の冒頭の雲が薄くなってうんたらレベルのト書きまでそのまま。ただ、ト書き通りのことをしながらト書き以上のことをするのがデンマーク・オペラです。てゆーかこれそういう意図の実験だよね?ナチュラルにト書き通りにしようとしてその間を埋めたらこうなってるんじゃ、まさか、ないよね?(←反語)

録音が立ち位置に非常にセンシティブというか、人物が動きながら歌ったり舞台後方で歌ったりするとすごく敏感にそれを反映しちゃうのが、録音としては聴きづらいかもしれません。これは録音エンジニアの領分の問題でしょうね。どっちかというとこの録音の方が「ありのまま」に近くて、その他の録音の方が加工している*1んだと思いますが。なんか制約があったのかな。

音はね、はっきり言って悪い。と言っても後加工の問題で、アナログビデオをデジタル変換した過程でホワイトノイズが入りっぱなしなうえに、元のアナログビデオ自体が何度も再生したものなのか、テープに唸りが入ってます。定期的に音が消えます。人によってはこんなん聴けないと言うレベルでしょう。でも何度も聴いてるんですけどね。

この序曲は何なんでしょう。いきなりバクバクなんですよ。マスカレードのときのような種類のバクバク。一体何が違うんでしょう。私の期待のせいでしょうか?これは夢ですか?

演奏は、はっきり言って暗い。というより不気味。冒頭の前奏、ビデオのタイトルバック用として何か別の曲を入れてるのかと思ったほど聴き覚えがない感じ。ジークフリートの前奏って和音が入っていきなり始まるような演奏が王道かと思うんですが、全然その感じが無くて、静かに静かに、ザッザッザッと行進するような曲調で入っていく。何度か聴くまで私は本気で別の曲(TVタイトル用のBGM)だと思ってました。


そして幕が開くと、長いブルーグレーのコートに身長の倍くらいありそうな槍を持ち、鍔の広い帽子を被ったヴォータンの後姿。ヴォータンが両手を挙げると、谷の風景を描いた内幕が上がり、ミーメの小屋の内部が現れます。

というわけで何の捻りもない森の小屋の内部、美しくは無いが手間は大変そうな密度で細部が作り込まれた赤茶けた室内の風景にミーメが鍛冶をはじめます。その目の前に立ちふさがるヴォータン。見えてはいないようだが気配を感じてなんとなく落ち着かないミーメが場所を変えると、またもや目の前に立ちふさがるヴォータン。またも落ち着かないミーメとの間で静かな鬼ごっこが展開されます。

ミーメは安定していて、とってもうまいです。安定しててまとまり過ぎと思いきや、耳がはっとする瞬間がある。ちっちゃくて丸顔丸頭で見た目もミーメにピッタリ。決して大きくないアナセンよりもさらに二周りくらい小さくて、ジークフリートとの身長差もバッチリ。それに、コペンハン・ミーメのMorphyさんと同様に、ミーメらしいのに聴いていて心地よい声質です。これを経験しちゃうと他所のキンキンしたミーメが聴けなくなります。キンキンミーメは1回だけ聴くならまだしも、ディスクで何回も聴くのはちょっとね。

満面笑顔のジークフリートが登場。ハイホーが決まってます。最近のアナセンはこういうシーンではセーブしてるのか彼の美学なのか、かろうじて聴こえるくらいにしかやってくれないんだよね。一緒に登場した熊がリアル。デンマークの熊は鼻面が長いなあ。外国の絵本みたいな、殆ど同じなんだけど何かが決定的に違う感がある熊です*2。何故か熊に自分の帽子を被せてけしかけるジークフリート。リンゴを齧りながら熊のお尻を蹴ったりしてます。動物虐待イクナイ!熊にひっかかれたミーメの腕をその辺のボロ布で拭いて包帯替わりに巻いてあげるジークフリート。しかし乱暴なので、傷口を拭かれたり布で腕を縛りあげられる度に声にならない悲鳴を上げるミーメでした。

いやあ。このジークフリート像は鮮烈です。等身大です。自分の中からどうしようもないものが湧き上がってくる感じがリアル。なんでそう思うのだろう。歌?説明出来ない。これぞジークフリートだと思う。寂しさと苛立ちと無邪気さと野放図さが、等身大でそこにあって、一人の人間の中で同居してるのが、すごく説得力がある。ジークフリートには寂しさって重要だと思うんですよ。彼はずっと寂しいの。その寂しさがあるから、ミーメがわざとらしさでもって親しそうにすると苛立つの。

ついでにコペハントークですが、あっちは若さの表現がデフォルメされてます。例えば森のささやきのシーンで葦笛でうまくいかなくてホルンを取り出してくるときのイクラちゃん@サザエさんみたいな「ハーイ」とか。しかしコペハンのジークフリートは、はっきり言ってローティーンか下手すると「小学生?」なのだが、3幕を考えるとそれも有り得ないのだが、一体なんなんでしょうね。やり過ぎです。あっちはジークフリートがデフォルメされててミーメが等身大で、こっちは逆で、ジークフリートが等身大でミーメがデフォルメされてます。

しかしアナセンはこの頃から幼児体型だな。全体にくびれがなくてストンとした体型なので子供っぽいんだよね。特に足首がストンとしてるとこがめちゃ子供っぽい。信楽の狸で言うところの大狸じゃなくて子狸体型*3。コペハンなんか身長はミーメとあんまり変わらないんだけど、ミーメが細いのにジークフリートはがっしりしてて脚なんか太くてストンとしてるから「あの子はこれから大きくなる」って感じがするんだ。って犬の仔じゃありませんね。小人の成人vs人間の子供に見えるということです。

犬の仔といえば、オーフスのジークフリートは、実によく寝転びます。一幕につき5回は寝転んでるんじゃないか。

ミーメとジークフリートがなにかと手をつなぐプロダクションです。ここのミーメはジークフリートのことが構いたくて仕方ないのね*4ジークフリートの方は「なんだこの手は?」って思ってる。

ヴォータンがうまいのは前に書いた通りだけど、なんせ、なかなかヴォータンにOKを出さない私が褒めたくらいだけど、なんでこの人注目されなかったんだろう。表現はうまいし、深みと若々しさが両立した分かりやすい「いい声」で、声(の雰囲気)で聴く人も満足だと思うのだが。さすらい人のヴォータンにしては(表現ではなくて、本人の素質が)格好良すぎることくらいしか欠点を思いつかない。ラインとかワルキューレではイマイチだったんかなー?こういう歌が歌える人がイマイチになるとは考えにくいのだが。しかしこのヴォータンは声も姿も佇まいも正統派イケメン過ぎる。ヴォータンがこんなに格好良くていいのか。

小賢しく動き回るミーメと、どっしり構えたヴォータンの対比がお見事。ミーメがデフォルメされているので嫌らしくならないのもいい。ミーメが追い詰められて、ヴォータンの正体を悟るところの視覚効果もお見事。って最初のときに書いたな。

それにしても、独特のリアリティがあるなぁ。1幕の最後でジークフリートが銃床にノートゥングを振り下ろすところで、普通は思いきり振り上げてバーンとやるでしょう。ところがオーフスのこのシーンは、スッと軽く剣を引いて、それで下の銃床まで切れちゃうって演出なんです。よく切れる刃物のリアル。これで〆ると感心して終わるところですがそれで終わらないのがデンマークオペラで、切れついでに建物があちこち崩れてドンガラガッシャンとなって、その辺に登ってたミーメがズリ落ちて崩れるセットの中で柱にしがみついて取り残されて、下ではジークフリートが歓声を上げながら走り回ってるという。前々から思ってたけど、デンマークオペラって、ドリフですよね。あまりにもベタ。一般のオペラと比べると圧倒的にリアルなんだけど、デフォルメされたリアル。本気で実写でやるマンガ。


オーフス・ジークフリートは1幕がとにかくすごい。これ以上はちょっと考えにくいくらいすごい。それで2幕はというと、2幕もかなりいいです。暗さと寂しさのバランスがやっぱりいい。でも1幕みたいなキャストの完璧感は無くて、アルベリヒとファーフナーは、まあまあかなあ。特別ではないという意味の「まあまあ」であって充分合格ですけどね。ジークフリートの一人芝居のところの寂しさの表現は、やっぱりすごい。名人芸っぽくなった今のアナセンの表現もすごいけど、こんときは等身大の少年像で、それがすごい。森の中から音が聴こえないかと耳を澄ます余韻が、本当にこっちも耳を澄まして音を探してしまう。

アナセンのジークフリートは、やっぱり特別だと思う。本人があまりにも芸術的に例外的にジークフリートそのものだ。ジークフリートはたぶんアナセンには高くてジークムントくらいが声域的には合ってるんだと思うんだけど*5、やっぱりこの人、ジークフリートとして有名になっただけのことはある。

しかし、無駄にアスレチックだ。そもそもよく寝たり転がったりするジークフリートですが、それにしても腹筋を使って起き上がりながら歌うのは止めてください。あなたが寝てても起き上がりながらでもあの柔らかなラインを一寸の隙も無く完璧に歌えるのは充分分かったから。しかも2幕の森のささやきの場面のいいとこでやってるし。

このホルン・ソロはめちゃうまだ。こんな音はじめて聴いた。どうやったらこんなに響かせることが出来るのだろう。陰影のある水気をたっぷり含んだ音ってこういうのを言うんだね。

ファーフナーはでっかくなったヤドカリとタコの合いの子みたいな奴で、そいつが毒ガスを出して攻撃する。で、倒すと中からやっぱりヤドカリの中身を思い起こさせる頼りなげな見ちゃいけないものを見てしまった感のある宇宙人チックな本体が出てくる。

ジークフリートの Wie Feuer brennt das Blut!(この血はまるで火だ!)のくだり、すごい。勢いがすごい。全く押してないのに勢いがあるのが、すごい。さっきからすごいばっかり言ってるけど、本当にすごいんだもの。


3幕ですが、最初に言っちゃうと、3幕3場は残念ながらそれなりです。リブレット通りでジークフリートがヘタったりすることもなく*6これまでの水準通りの歌唱を聴かせてくれますから、これを先に観るなら全然問題ない、むしろ他の映像よりずっといいくらいだと思いますが、この3場はとにかくコペハンが圧倒的でしたからねえ。

さて冒頭のヴォータンとエルダのシーンですが、これは、エルダがいいですねえ。ここまで満足出来るエルダははじめてです*7。ヴォータンは1幕のときほどのインパクトはないかな。でも充分満足出来ます。オケもいいです。純粋に音楽で満足出来る3幕1場は貴重だと思います。

さて次の2場ですが、ここのヴォータンの表現の変化は関心しました。ジークフリートのヴォータンて付けられてる旋律のせいで単調になりがちですが、そうじゃないのだなあと。それと2場のラスト、ひとつ面白いことを発見しました。Saniとオーフス・リングって、受ける印象がそっくりです。偶然か目の付け所がいいのか知りませんが、やっぱり右舷日記的には注目の若手ジークフリートNo.1です。

3場は、ジークフリートが登場するところの、人物がシルエットになって背景が火から徐々にくすぶりに変わって、段々空が青くなっていくところが綺麗。ト書きの松の木陰がちゃんとある(笑)。オーフスは全体を通してこういうシルエット使いうまいです。景色として綺麗ってだけじゃなくて、火に目が眩んでるところから徐々に目が慣れていくところがよく伝わって来るんです。

歌は、うーん、まだ解釈しきれていない感じはするかな?歌唱としてはうまいけど、役柄やこの場面の解釈と結びついた特別の領域には達してない感じ。いや、先行映像しか知らない状態でこれを観たら感心したのかな。いやー、ここはやっぱりコペハンが特別過ぎたよ。ブリュンヒルデは、見た目の印象もあって、なにか、強さというよりは怯えの印象が強いブリュンヒルデです。

最後に、もっかい映像へのリンクを貼っていいですか。http://www.youtube.com/watch?v=TCd6_SbZc1U

DEN JYSKE OPERA, Siegfried, 26 and 28 August 1994
Conductor: Francesco Cristofoli
Staging: Klaus Hoffmeyer (Assistant: Kasper Holten)
Aarhus Symfoniorkester
Siegfried: Stig Fogh Andersen
Wanderer: Lars Waage
Mime: Hans Jorgen
Alberich: Jorgen Klint
Fafner: Jesper Brun-Jensen
Vogel: Henriette Bonde-Hansen
Brunnhilde: Lisbeth Balslev
Erda: Mette Ejsing

*1:舞台に複数設置したマイク間のバランスを変えてミックスしたりしてして、「ありのまま」よりも聴いたときに自然なように「加工」している。

*2:って外国だから。

*3:そんな喩えを出しても誰にも分からんだろう。なので注釈を付けておくと、信楽焼の狸の置物ありますよね、あれよく見ると結構写実的で、大狸は中年男の体型で子狸は幼児の体型になっているのです。はい無駄知識でした。

*4:そりゃあのジークフリートなら可愛くて仕方無いでしょうとも!

*5:だからテノールとしては相当低いとこがポジションなんだよなあ。受ける印象と真逆だけど。

*6:デカ声大会で勝てるような種類の声量は無いがスタミナはあるアスレチックテノールですから。

*7:追記:このレポ書いた後に上海で心から満足するエルダを聴くことが出来ました