スカラ座ドン・カルロ15日レポ
初日との比較をメインにレポして行きたいと思います。
まず1番の感想は、2回聴いて、本当に良かった!!前回のボリスが終わったときに、次は絶対2回観ようって決めてたんですよ。特に音楽の消化や記憶という面から、絶対1回では何が何だか分からないうちに終わってしまうと思ったので。まだまだ勉強中です。
当初の予定では、初日を先入観無しで観た後で、録画しておいた同プロダクションのテレビ放送とか他の録音とか色々聴いて2回目に臨もうと思ってたんですけど、結局初日を聴いたら他の音で印象を上書き更新するのが惜しくなって、15日まで音楽断ちしてました。でも間にヴェルレク聴いたし、録画がちゃんと出来てるか確認するだけと思って再生しはじめたテレビ放送も、ついついそのまま見入ってしまい、1幕1場は観ちゃったんですけどね。
さてそのテレビ放送の印象が先入観にならないかと心配しつつ臨んだ15日。ところがところが、またもや最初から、すっとノれたんですよねえ。私とガッティ(の生演奏)は相性がいいのでしょう。逆に、先入観に左右されずに、世間の評判にも左右されずに、ちゃんと独立して判断出来るんだ、エラいぞ私の耳!と妙な自信が付きました。普通逆ですよね。自分の感覚と世間評価が一致していたときに大抵の人は安心するものだと思うんですが、どうやら私は一周して捻くれているようです。だって前評判と同じ評価になったときは、自分が前評判に引っ張られてないか自信がないんですもん。でも欠点があってもノれるかどうかは別問題だし、完璧で破綻が無くてノれないことなんてざらにあるので、悪評判とノれるというのは両立してもおかしくないわけですから、これはこれでよい気もします。
この日の席は4階センターの2列目でした。音響は、まとまって聴こえます。が、めちゃくちゃいいかと言われると疑問です。舞台との近さは4階でも充分、もっと倍率の高い双眼鏡があれば*1、是非5階に行ってみたいと思いました。次のテーマは5階センターと5階サイドの差を聴き比べかな。
でも、初日の1階前方席でも音響的な不満が無かったことに味を占めていたので、この日の私は、それまでの座席と音響へのこだわりはどこへやら、次の幕間で空席移動しちゃったんですけどね*2 *3。で、空席移動して比較した結果について書いておきましょう。パーペやその他の迫力組に関してはどちらで聴いても問題ないですが、カルロ君とロドリーゴは下で聴いた方が断然聴きやすかったです。これは、どちらで聴くかで評価変わるだろうなあと思いました。以下順番に。
1幕1場
まず修道士が、この前と違う人かと思いました。この前は妙に若かったけど、今日は普通に年配の人かと。てっきり別人かと思ってて名前確認したら同じ人だった。なんでこの人、出てくる度に違う印象なの?
カルロ君は歌は初日よりマシになりましたが、コミカルな動きは相変わらずです。友情の二重唱はやっぱりしっくり行かなかった。2回ともこの調子なので、不出来ではなく、これがガッティの意図した音楽なのでしょう。
そういえば、黙役のおチビさん達の顔ぶれですが、初日にヤングフィリポ(10代後半くらい、ちび達の5〜6歳上って設定に見えた)だと思ったところが今日は大人フィリポ?になっていました。せいぜい10歳くらいのエリザベッタと大人の結婚で、これならストーリーに合ってます。ちびロドリーゴは初日は日本人?と思うような外見の子でしたが、今日は普通にイタリアンつーか日本人には見えない子でした。ちびカルロは一緒だと思います。ちびエリザベッタは私には判別つきません。こんなところでキャストチェンジするとも思えないのですが、場所による見え方の違いでしょうか?
1幕2場
女官が50人くらいずらっと並ぶ華やかな場面ですが、この舞台の見え方が全然違いました。前は下から見上げる感じだったので舞台を埋め尽くす感じで豪華でしたが、今回は舞台の空いているところが目に入るので、比較すると寂しい感じです。このプロダクションは衣装が豪華なので、間近で見ると迫力が違うのですね。どうでもいいことですが、テバルド役の人は目鼻立ちがはっきりしているので、双眼鏡のピント合わせをするのにもってこいです*4。
スミルノヴァ・エボリのヴェールの歌は、いいんだけど教科書的でオリエンタリズムが足りないような。もっとドライブ感満載でうねうねしながら歌って欲しいです。カロージ・エリザベッタが出てきて、ピンと来ないなんて言ってたこの場面のフリットリ・エリザベッタのすごさが分かりました。いつも私は遅いです。カルロ君とエリザベッタのシーンは、いつも語彙がこれしかないのかって感じですが、メリハリ不足です。だって「ならば父を殺して出直して来い」以前と以降が、なんていうか、殆ど同じ調子なんですもん。ここでやっとメリハリを付けられる人のすごさに思い当たるわけですが、あれは、柔らかく歌っても充分出てるから、メリハリが付けられるわけですよね。150%のパワーがあってはじめて100%が楽に出せるというか。最初から100%しかなかったらMAXのところで張り付くしかないんですよねえ。
「それは墓場の平和です」に注目アゲイン。やっぱり強調されずに流れてしまう。これが意図通りの演出なのね。いや予習素材がたまたまそこ強調してただけなのか。
2幕1場
イェニス・ロドリーゴは大分聴けるようになってきました。オケが止んで真っ直ぐ声が飛んでくるときは結構いいです。でもオケと重なったときに突き抜ける感じはしません。カルロ君は相変わらずドタバタしてます。この人、腰が上下に動いちゃってるんですよ。別に名演しろって言ってるわけじゃなくて、イェニスみたいに普通に歩けばいいだけなのに。
2幕2場
このシーンの舞台はやっぱり迫力で、ヴェールが開いた瞬間色鮮やかになってはっとします。パーペはやっぱりメリハリうまいなあ。合唱はこの前よりいいし、フランドルの6人衆はやっぱり絶妙でいいです。今日はカルロの剣をとりあげるところの音楽もしっかり盛り上がってたし、しっくり来ました。このフランドルのシーンでは、音楽的には王は四面楚歌になって、それでも突っぱねる、そういう人物像なんですよねえ。
3幕1場
彼女は私を愛したことがない。パーペ節ですが、巻き舌が控えめになって、息継ぎも減った・・・・というか目立たなくなってました*5。って間違い探しか私は。もっと普通に印象とか書けないかと思うんですが、書けないんですよ。
大審問官はやっぱり存在感たっぷり。出るとこ出てるし。ロドリーゴに言及が及んだときの盛り上がりとか、今日はよく聴けたなあ。王と大審問官のシーンはオケも含めてかなりの迫力に。
エリザベッタをいじめるパーペがとってもどんパペです。つーか人見てやってないか?フリットリのときみたいに優しくないよ?倒れて支えるときも、初日のあの表情が出てないんですけど?角度が違うせい・・・・ということにしときましょうか。
呪われた美貌は悪くない、全く悪くないんだけど、ザージックのあのビリビリを聴いた後では分が悪いです。
3幕2場
カルロの牢にて。ここはあんま好きではなくてつい流してしまう場面なんですが、不思議な体験をしました。ロドリーゴのアリアのとき、それまで意識したことのなかったハープの音が急に聴こえてきて、そして色んな音が急に聴こえる、というか、全く意識せずに一塊として聴いていた音のひとつひとつが急にはっきり聴こえてくるという瞬間があったんですよ。悪い意味ではなく、はっとする感じで。
王の登場。一声でやっぱ場が引き締まるわ。当初ドン・カルロ用に作曲されたがカットされてレクイエムに使用され(wikipedia:レクイエム_(ヴェルディ))、カットされた分を復活させているというラクリモサの旋律。スタートはしっくり来ない調子でしたが、後半かなりノってきたようです。
4幕1場
世の虚しさを知るあなた。弱音もいいし、高音もはりあげるところも悪くない、でもなにか物足りない。というか、こういう風に分析的に聴き始めたら、たぶん歌そのものには入り込めていないんだろうと思ったりしました。
カルロ君、天上の〜さよならを言うところでは結構良かった。決して、貶してばかりだったからバランスをとろうと褒めてるわけじゃないよ。
おしまい。いい舞台を有難う。また会おうスカラ座!
公演概要
日時 | 2009年9月15日(火)18:00〜 |
会場 | 東京文化会館 |
演目 | ドン・カルロ 伊語4幕版 |
指揮 | ダニエル・ガッティ |
演出・舞台装置 | シュテファン・ブラウンシュヴァイク |
衣裳 | ティボー・ファン・クレーネンブロック |
照明 | マリオン・ヒューレット |
合唱指揮 | ブルーノ・カゾーニ |
フィリッポ2世 | ルネ・パーペ |
ドン・カルロ | ラモン・ヴァルガス |
ロゴリーゴ | ダリボール・イェニス |
宗教裁判長 | アナトーリ・コチェルガ |
修道士 | ガボール・ブレッツ |
エリザベッタ | ミカエラ・カロージ |
エボリ公女 | アンナ・スミルノヴァ |
テバルト | カルラ・ディ・チェンソ |
レルマ伯爵 | クリスティアーノ・クレモニーニ |
国王の布告者 | カルロ・ボージ |
天の声 | ユリア・ボルヒェルト |
フランドルの6人の使者 | フィリッポ・ベットスキ、アレッサンドロ・パリャーガ、エルネスト・パナリエッロ、ステファノ・リナルディ・ミリアーニ、アレッサンドロ・スピーナ、ルチアーノ・バティニッチ |
太字が初日と違うところ