私の耳を上書きしないで・アゲイン

私の耳を上書きしないで・その1は、こちらです。今回のスカラ座来日公演の遠征で考えたことを書き出してみました。

  • 今回も実演聴いた後は、音楽の記憶を上書き更新したくなくて、少しでも印象を長く残しておきたくて、音楽断ちしてました。実演聴いた後の移動は、音楽も本も無しで、目を瞑って音楽の記憶とただ戯れるというのが定番になりつつあります。
  • しかし帰ったらヴェルレクの新譜も届いてたし、各種注文してたものも一緒に届いてたし、ネトラジの放送もあるし、BGMには何かないと寂しいし、早々に音楽断ちを解いちゃいました。それでもドン・カルロ初日から数えると10日くらい音楽断ちしてたのかな。
  • 音を記憶するのは実に難しい。同じ音を聴けば、ああこの音だと分かる(かもしれない)けど、何もないときに頭の中で音楽を再現するのは殆ど無理。
  • 記憶に残るのは、その音楽によって受けた印象であって、音楽そのものではない*1
  • 音楽によって受ける印象は、聴き手である自分のコンディションに強く依存する。演奏を評価しているつもりで、自分のコンディション込みの状況を評価していることは忘れないようにしたい。自分のコンディションがどれだけ影響を与えるか、逆に言えば自分のコンディション抜きで客観的な評価なんて出来ないということを自覚するには、ものを味わうときのことを思い出すとよい。コーヒーやお茶やウィスキーなど、香りが重要な位置を占めるものがいい*2。演奏と違って、これらは前回味わったときと同じものであることも保証されているので*3、自分の側に原因があることを自覚するのによい。
  • ものを味わうことにコツが要るように、音楽を味わうことにもコツが要る。音楽を聴くことそのものが一種のスキルである。慣れ、経験の蓄積によってより細かいところが分かる、聴きどころが分かるといった技術的な要素と、どれだけ集中、投影、陶酔出来るかといった感情移入の要素がある。
  • 記憶ということでは、自分の場合は、その印象をさらに言語化したものが記憶に残る。これは音楽だけでなく、映像や地図、さらには抽象的な概念などでも同様の傾向がある。言語に特化していて、何かを感じると同時に言語化していくという処理をやっているらしい。このため、言葉を使ってコミュニケートする場面では効率良くアウトプット出来るが、言葉によるアウトプットに向いているだけで、元となる音や映像をよく記憶しているわけではない。

スカラ座ドン・カルロレポシリーズ
初日 全体編 1幕1場 2幕 3〜4幕 15日

*1:でも音楽そのものが残る人もいるんだろうなー、wikipedia:映像記憶の音楽版のようなもので。

*2:コーヒーとお茶は淹れ方に影響されるので、本当はウィスキー(ストレート)一択で薦めたいところですが、万人向きではないので。

*3:細かいことを言えば保存状態によって刻々変わるけど、すこし注意して付き合っていれば、保存による変化がどのくらいかはすぐ分かる。