対訳本にもの申す

また自分の書いたものが恥ずかしくなって、引きこもってました*1。感覚のことを書くってのは、どうにもいかんです。こういうときの逃げのためのネタをやりましょう。

ふと思いついて、こんなものを調達してみました。膝の上に本を置いて目を通しながらドイツ語字幕を表示させながら鑑賞してみたらいいかなと思って。

そしたら一言言いたくて仕方なくなってしまいました。だって最初からこれですよ。

Wes Herd dies auch sei,
hier muss ich rasten.
ここが誰のかまどか知らないが、
ここで精も魂も尽き果てた。

あのー。もっと直訳して欲しいんですが。普通に「ここで休まなきゃ」でいいじゃないですか。だって、「ここで精も魂も尽き果てた」と歌ってると思って聴くのと、「ここで休まなきゃ」と歌ってると思って聴くの、全然違くないですか。

それにこの一幕、なんというか、余計な予断と注釈が入りまくりで、それがこのキャラクターはこうであるという思い込みのためにある特定方向を示しているものなので、興醒めなんですが。もっとテキストそのものを出して読者に任せたらいいじゃないですか。別に間違ってるわけじゃなくて解釈のひとつとして有なレベルだとは思いますが、翻訳者の解釈が色濃く反映された共同制作的な翻訳として邦訳文単体の作品として発表するなら普通に有な範囲かと思いますが、しかし対訳本という性格上、どうなんでしょう。オペラの場合、歌の一節一節に対応させながら鑑賞したいから、もっと素朴な、テキスト通りの意味が知りたいのです。

もう1箇所行ってみましょう。

Erdenluft
muss sie noch atmen:
地上の空気を
ジークリンデはまだ呼吸しなければならない。

ええええぇっっ?あっちがあれ(上記)なのに、ここはこれですか。それはないんじゃないですか。せめて「空気を・呼吸」は止めましょうよ。その「を」の使い方は変ですよ。こういう箇所が複数あるわけです。いや普段はこういう箇所が残っていてもスルーですが、全編直訳調なら全く気にならないと思いますが、上のようなのと組み合わさると、えらい面食らってしまうのです。「愛の秘儀によって籠絡」もちょっとねえ*2


こんな文句付けるくらいなら、原語で理解出来るようになっとけって話ですね。他人の翻訳を充てにするから、こういう問題が起きるのであって。でもねー。今までコペハンリングに付いてきた英語字幕しか見てなかったけど*3 *4、それと比べてもおかしいと思ったんですよ。

それでもやっぱり対訳本があると、DVDの字幕に原語を選択出来て便利なので、他にいい選択肢ないですかね。こんな文句付けてたら誰も推薦してくれないか。まあ色々選択肢があって文句付けられる状況そのものが、ちょっと前のユーザから見たら贅沢極まりないんだろうしなあ。

しかしちょっと前にはこんなことを言ってたんですよ。ずいぶん趣旨変えしたじゃありませんか。いや、結局、直訳から日本語としてこなれた表現に変えるなら、変えた後が良ければおっけー、そうじゃなければ直訳のがマシということでしょうか。結局どうなっていたら良いのかはセンス問題かもしれないので、相性が悪いだけかもしれませんね。

*1:どんだけ青臭いねん>自分。

*2:仮にそれを指していたとしても、言葉になって表出したものとしては、そうかもしれないし、そうでないかもしれない、そういう余地を残した表現でしょう。

*3:このコペハンについてる英語字幕もちょっと変な英語で、もっとシンプルな表現すればいいのになんでイチイチ辞書を引かせるような表現するんだー的な英語ではあるんだけど。これ見た後でYouTubeとかで見れる英語圏の英語字幕付動画を見ると、シンプルですっと頭に入る表現なので感激モノである。しかしこういうDVDで採用可能な翻訳文って、定番があるもんじゃないの?毎回調達してるの?文化の共有って進んでないんだなー。

*4:ついでなので余談。DVDの字幕といえば、インターナショナルリリースであれば中国語すら入ってるこのご時勢に日本語は無いってのが、日本市場は充分大きいと思うのに、まあ要するにその結構大きな日本市場のビジネス上のご都合なんでしょうけど(具体的には日本の業者がそのうち国内盤を出す<かもしれない>からインターナショナル版に日本語入れないでくれってことになってるんじゃないかと想像してるんだけど)、なんだかなである。