オペラっぽい演出

ちと戻って土曜日はオペラファンとして育成中の女の子と(←強調!)仲良く膝を並べて(←強調!)コペハンリング鑑賞会、ついにジークフリートの会でした。大層面白くて続きが観たいとのことなのでこちらとしても満足な結果だったのですが*1、そのまま続きで、ちょうど放映してたバイロイトマイスタージンガーを観始めて、二人とも面白くないという感想になって、つくづく演出について考えてしまいました。

私はこのマイスタージンガーは典型的なオペラの演出という印象で、特にドイツっぽい演出だと思ってしまって、別にこの演出が特別NGなわけではなくそういう意味ではたまたまこういうタイミングで観たせいでやり玉に挙げてしまって申し訳ないくらいなのですが、まあありがちなオペラの演出のひとつということで、これをきっかけにありがちなオペラっぽい演出について考えてみました。

  • 歌ってる人は歌ってる。レパートリーにしてるだけあって、歌ってるときの歌ってる人はそれなりである。
  • その後ろで、他の登場人物や合唱が、意味不明な動きをする。あるいは、その動きには一応意味付けがあるかもしれないが、今その場で歌ってる人とは合致しない動きをする。
  • 結果として、なんともチグハグでバラバラな印象が出来上がる。
  • こういうのをいろいろ見せられた結果、オペラの演出といえばこういうものだと思ってしまう回路が私の中に出来ていた。
  • なんでオペラの演出がこうなりがちかっていうことだけど、歌手が変わってもその演出が出来るように、あるいは、歌手抜きで練習出来るようにって考えると、こういうスタイルになって行くんじゃないか。そこには必然性があるんだろう、たぶん。
  • 正直この手のチグハグさを見せられるくらいなら、なんか変わったことしようと思ってもらわなくて結構なんだけど。オーソドックスな、誰かが歌ってる間に別の人が変なことしない演出で充分なんですが。こんだけ変な演出大絶賛中のstarboardですが、こういうところは保守的なんですよ。
  • もうひとつありがちな要素として、歌ってる人は歌ってる人で完結してるので、どうしても演技が細かくなって、表情だけ、あるいはプラスちょっとした身振りくらいのいわゆるカメラ向き*2の動きになりがち。自己完結してると出せる動きには限界があるもんね。
  • たまに達者な人がいても、その人ばっかり動いちゃって、なんというかスタンドプレーになりがちなんだよね。

またコペハンの話で申し訳ないんだけど、私はあそこは特別だと感じていて*3、オペラっぽくなくて演劇的だと思っていて*4、なんでそう思うのかさっぱり言語化出来なかったんだけど、このきっかけでやっとその理由が分かった。あそこはごく当たり前に動きが連携してるんですよ。演劇だったらしてる連携を当たり前にしてる。

まあ歌手が殆ど自前であるとか、全ての登場人物に対して、自分がこの人物だったらこう動くであろうという共感寄りのリアルさを志向している(ホルテン演出の特徴)とか、そういう特殊事情はあるんですけど。特に自前って要素は大きいのかな。注意してみてると、ゲスト歌手は連携が比較的弱くて上で書いたような自己完結した演技になる傾向がありますね。あくまで専属歌手との比較であって、オペラ一般の基準からしたら相当細かいことやらされてますけど、ゲスト歌手のみなさんも。

あと上のマイスタージンガーは音楽面が弱いってのもあった。残念ながら。平板だった。これでいいのかバイロイト。これも実験のひとつなのか?え?結局それが大きいんだろうって?そうかもしれない。


さて。明日はDKTの来シーズンのスケジュール発表日なんですよ。楽しみー。

*1:そういえば、ついに50インチでアナセンどアップの会でもあったのだ。問題のワルキューレをパスした後だったので、もう平気だった。こんなことやってたときもあったのに。いやー。若い女の子にあのビジュアルはキツいかなと思って、これはもう見てらんないって途中でリタイアされたらどうしようとドキドキでした。思い入れがない分却って平気みたいですね。あの舞台メイクは超不評でしたが。マイケル・ジャクソンみたいって言われちったよ。あはははは。

*2:←→舞台向き

*3:そんな大袈裟なことじゃなくて、小劇場にはよくあることなのかもだけど、私はあそこしか知らないので。

*4:細かいこと言うと演劇っていうより映画やテレビドラマっぽいんだけど、それはまた後で考える。もしかしてあのカメラのせいだったりして?