コペハンリングその後

って、あの物語の後日談じゃなくて、私がこの日記に盛んにアウトプットしてたときからその後どんなことを考えたかという後日談。これをアウトプットしておかないと次に行けないのです。

とりあえずこの数ヶ月は、ひまさえあればコペハンリングを聴いてましたね。我ながらよくこんなに浸ってたもんだ。全く新しいディスクを降ろす気になれなかったんですが、だって「何を聴こうかな→じゃあこれ」って順番じゃなくて、「今コペハンのあそこを聴きたい!早く早く!」って感じでまずコペハン聴きたいありきだったのです。こんな状態だったのですが、どうやら、ようやく、先に行きそうです。これで未読ディスクの山に手を付けられそうです。

実はちょい前に、一旦リング関係は封印して、上海の前くらいに予習するまで離れておこうと決心したんですよ。でないと実演で刷り込みと比較しちゃって不満が出そうと思ったので。あっという間に破っちゃいました。でも最近思ったんですけどね、不満が出るときは何も刷り込んでなくても出るし、出ないときはどんなに刷り込みがあろうが出ないから、割り切ることにしたんです。


それでコペハンその後。黄昏の冒頭のノルンのシーン、客席に向かって語るってスタンスは全く正しい。成り立ちから考えても、そういうシーンだ。ノルン同士の会話として描こうとすると退屈でしょう、これ?

これで思いついたんだけど、ただの思いつきのように見えて*1、実は本質的な理解に基づいてるんだホルテン演出って。だから私はホルテン演出が好きだ。そしてそれを勿体ぶらず茶目っけたっぷりにオープンする知性が好きだ。実は自分がよく分かっていない癖に、分からないのはお前が悪いと言わんばかりの演出と、それを有り難がる取り巻きっているでしょう(また問題発言)。ああいうのは本当に見たくない。世の中の頭のよろしくない部分を直視したくない。

ホルテンがどこかで言ってたことで、なんでこんな奇抜な演出するのって質問への回答が好きだ。「ワーグナーの音楽は50年後も残る。自分の演出は残らない。それなら・・・・冒険しない理由はないだろ?」

北欧神話の本場のリングであるってことが、なにかプラスに働いてるのかもしれない。まだどこがどうって言えないけど、後で考えるためのメモとして。

神話つながりで、ホルテンの書いたものを読んでると、mythって言葉がよく出てくる。もちろんリング関連でも出てくるけど、そうじゃない文脈でも出てくる。かの地では日本語の神話よりももっと頻発する概念なんだろう。

第1次レポであんま触れなかったこととして、コペハンリングはアルベリヒの存在がかなり独特じゃないかなーと思いました。あのアルベリヒは他ではあり得ないですね。どのキャラクターに対しても感情移入出来るように組み立てられた普通の人間の物語ってのが狙いとしてあって、その一環なのかとも思います。最初は自分とこのアンサンブルから声域が合う人を見繕ったらこういう独特の結果になったのかと思ったんだけど、なんかよく計算された結果のような気もしてきた今日この頃です。両方なんでしょうけどね。この人がやるならこうしようと作っていくからこうなるところがあるんでしょう。

ホルテン演出の一番の特徴って、この作品を作っていくプロセスにあると思うんですよ。歌手も指揮者も含めてみんなで一緒に作っていく演出だから、どこでも見たことのないような独特の感じになる。あれを引き出せるのは本当に希少な才能だと思う。

最後に、一度もちゃんとリンク付で紹介したことが無かったと思うので、まんまとstarboardにコペハンリングに嵌められたid:wagnerianchanさんとこのレビューにリンクしておきます。コメント欄がstarboardのネタバレトークコーナーになってます。自分とこでは一応ネタバレ無いように書いてたんですよ、これでも。

*1:だって、まるでただの思いつきのように奇抜で茶目っけたっぷりなんだもの。