楽劇発見

何をいまさらな話かもしれませんが・・・・

ワーグナーの音楽は、人物の内面で、あるいは人物の間で起こったことを描いている。効果音じゃない。心理なんだ!

ってこれ、知識としてはこんときに既に触れてたんだけど、それが腑に落ちたのは、コペハンリングに入り込む経験を通じて。知識が実感になるにはあの経験が必須だった。これが分かるとワーグナーは俄然面白くなる。さあこれでワーグナーの他の作品を聴く準備が出来た!もう聴いても大丈夫!

それに関連して。オケに人物の心理を語らせるというワーグナー作品において、歌唱部分っていうのは本当に台詞。普通のオペラよりもずっと台詞。客席を向いて足を踏ん張って、あるいは、この瞬間この人が主役という聴かせどころのアリアは存在しない。アリアと区別するためのレチタティーブも存在しない(だって全面それなんだから)。当たり前だ。だってこれは劇の一部なのだから。楽劇って、辞書引くとそう書いてあるんだけど、さっぱり意味が分かっていなかった。分かっていなかったことが今分かった!

だからね、ワーグナーって本当は演技大切なんだと思う。オケパートから心理を読んで演技しないと全然意味不明だと思う。ただ旋律を辿るだけじゃ駄目。どんな演目でもそういう面があるだろうけど、量的な違いじゃなくて質的な違いがワーグナーとそれ以外の間にはある。しかしよくこんなこと一人で思いついて実行したな、このおっちゃんは。

というわけで、当初からの疑問が解けましたよ。いやーびっくり。疑問って、いつか勝手に解けるものなんですね。これでもう本とか読んでも大丈夫だ。きっと書いてあるでしょう、こういうこと?

思い返してみると、私の中のリングの苦手シーンて、このオケの雄弁さが無くて、人物の心理が読みにくいシーンであることに気がつきました。ジークフリート3幕のヴォータンとエルダのシーンとか。ヴォータン絡みのシーンて結構そういう傾向ありますね。そういう意味ではヴォータン(作者に)愛されてないのかも。ちなみに愛を感じるのはワルキューレ一幕です。あとジークフリートは全面的に贔屓されてますね。いやでも、やっぱり媒体のせいかな。よいインタープリターがいるか否かの違いかな。