オーフスリング・レポ(1) アナセン=ジークフリート論

年甲斐も無く熱を出してしまったオーフスリング・レポです。わたしゃ何やってんでしょうねえ。オーフスリングはデンマーク国内盤しか出てないし、はっきり言って殆どの読者にとってこのレポ以外に接点がないことが予想されるので、久々にネタばれ全開脳内垂れ流しレポ行ってみましょう。

でも今日はまだ時系列レポに入りません。序夜にしてメイン。アナセンとジークフリートについて書きます。

オーフスの写真は、もうClassicoのブックレットでご覧になられた方もいると思いますが・・・・ええ、ええ。熱も出ますとも。だってこのジークフリート、半袖からニョキっと伸びた腕とか、V字に深く大きく開いた胸元とか、やたらつるんとしてて女の子みたいなんだもん。体型もモチモチしてるし。髪も長めで、肩に触る程度の巻き毛で、やっぱり女の子みたい。えーと、アナセンこんときいくつだ?・・・44歳。あ、そう。これ現役じゃなくて良かった。こんなんが出てきたら刺激が強すぎます。アップになったらずっこけるくらいで私には丁度いいです。

しかしまあ、ここまで毎回違う倒錯を持ち込めるのは、もう才能なんですかねー。読む取るこっち側に原因があるような気もしますが。


この頃はまだヘルデンっぽい。声がバリショナル。このときはメルッヒの再来って言われてたんですよ。一瞬だったけど。その後変な方向に進化したから。

独自のリリシズムと柔らかな受け止め方はもう既に確実にあるけど、それが普通に自然にあるんだけど、というか彼のジークフリートは彼の内から出てきた感じがものすごくて、なるべきようになってて、それ以外になりようがないように思えて、まさに「なるようになるし、なるようにしかならない」って言葉通りで、なんていうか時間をかけて研鑽して開発していった感じが全くしないんですよ。上手く演じてる感じが全然しない。これがすごいと思う。

94年のオーフスは初役ですから、本当にその通りなんですよね。漱石夢十夜(仁王を刻む運慶)みたいなことって本当にあるんですね。やっぱり生まれながらのジークフリートです。

実は私ははじめて聴いたのはジークムントの方で、それで吃驚して夢中になってそればっかり聴いてってステップを経た後にジークフリートを聴いたんだけど、なんていうか、ジークムントだけ聴いてる時からこの人ジークフリートだったんですよ。何を言っているか分かりませんね。私にも分かりません。

そんで何の話をしてたんだっけ。ヘルデンっぽいとかぽくないの話だった。その後のアナセンはもっとリリカルに、もっと遊ぶような軽妙さが入るようになった。この軽妙さが外され感につながって、私の大好きなところであるんですが。

アナセンを聴いてるときの外され感はすごく不思議で、一回目を聴いたときに外されるのは分かるんです、でもそうじゃなくて、何度聴いてもやっぱり外されてしまうところが不思議なんです。一回どころじゃなくて何回も何回も聴きこんで次はこう来ると展開を完全に覚えていたとしても、また聴いたときに、彼の作るリズムに乗って次はこう来るって予感があって、それを待ち構えてしまって、そして、それを外されるんですよ。ノせられて外される快楽。

子供の頃の高い高いに近い感覚かもしれません。なんかああいうのって、規則的にやってもらっててそれに安心して身を預けていて、ふと外されると快感があるでしょう。あるいは、浮遊感が続くと思ってて、ふっと降下に切り替わったときのあの感じというのかな。予想とのギャップが心地良いんです。

外すというのは、引き算ですね。押せ々々で来ると思ってるところでスッと引かれると、よろめきます。癖になります。それに、ノせられないと外されても面白くないんですよ。というか、そもそもノせられてないと外されるってことも無いのかな。このノせることが出来るって時点で突出してるのかもしれません。

さすがに、声が若い。非常に充実してるように聴こえる。変な話なんですけど、記憶の中のアナセンはいつもちょっと声を出すのがしんどそうに私の中にインプットされてて、古い録音聴いてて「この頃はよく出てるなあ」と思って、コペハンどうだったっけ?と思って引っ張り出して聴き直してみると、記憶に反してよく出てるのにびっくりするというパターンを毎度繰り返してたりします。あるいは聴いてる最中は、たまに入るドライな箇所とかばっかり注意が向いてしまって、あまり声そのものがいいとは思わないんだけど、たまに他の人の声で聴いて比較してはじめてその充実度に気がつくってパターンばっかりなんですが、なんでしょうね、この現象。聴いてる最中はなんか「足りないもの」に注意が向いてしまうんですよ。ついつい贅沢を言いたくなる、そんな人です。私にとっては。


ちょっと陰のあるジークフリートです。コペハンより年齢は上ですね。コペハンのジークフリートがひたすら素直でデフォルメされたキャラクターなのに対し、こちらは等身大。自分が何者か知らずに育った少年が持つであろう暗さみたいなものが感じられる。演出のせいもあるのだろうけど*1。でもこういう「等身大」って、そう何度も出来ないよね。これは、そういう種類の等身大だ。その意味で、今これが見れるのは本当に奇跡だなあ。これビデオに残す決断をした人は偉いなあ。フレッシュでありながら芸としての完成度が高いという滅多にない状態を拝めます。

それに、今度こそ、アップになっても少年です(←でも44歳)。某オペラMLの過去ログを漁ってて「一体どこに本当に10代に見えるジークフリートがいるっていうんだい?」→「もちろんスティーグ・アンダーセンさ!*2」というやり取りを見て激しく同意してしまう今日この頃です。時空を超えて同意レスをしたい。

たまには思いっきり語ってみました。

*1:コペハンは、というよりホルテン演出はどこまでも明るいからなあ。それこそファミリー映画のように毒がなくて明るくて、世界はもっと綺麗で人はもっと優しいと思ってるのがホルテン演出。でもアダルトも暴力も入ってる不思議。また話が逸れた。

*2:いつもとカナ表記が違うのは、英語で読んでたので、そのイメージが再現されております。