お能を観て来た

たびたびお誘いがあったもののずっと敬遠してきた、お能を観てきました。学生時代に観たような気もしますが、記憶がはるかかなたです。演目は「隅田川」で、人攫いにあった子供を追い求めて京の都からはるばる隅田川のほとりまで来た母(狂女)が、そこで子供の死を知らされ、子供の幻を見るという無情物語らしいです。子役が出るんですが、この作品が書かれた時点でも作者の元雅と、その父世阿弥の間で子役を出すか出さないかの議論があったそうですが、私は断然出さない方がいい派でした。声も3回出しますが、最初の1回だけにしておくくらいがいいんじゃないかなあ、とつい考えてしまう演目でした。

んで、なんとなくオペラ的に「この大鼓は鳴らし過ぎじゃないか」と思いつつ鑑賞してたりしましたが、後で話を聞いたところ、そんなことを考えながら聴く人はいないそうです(笑)。音だけですごいインパクトがあるかというとそんなことは無くて、視覚の比重が大きいようです。「能を舞う」って言いますもんね。足元を見なければ、なんか別の動力で動いてるんじゃないか*1と思う動きでした。謡は、たまに理解出来るけど7割方理解出来ない感じで「ドイツ人が聞くワグナーもこんな感じかしら?*2」と思いながら聴いてました。予め台本に目を通して字面を知ってれば聞き取れると思いますが、いきなりは無理じゃないかな。

思ったのは、うーん、表現が抑制されてますねー。そうだろうと思ってましたが、予測してたよりもはるかに抑制されてました。音無しで手の動きだけで嘆きを表すとかね。大体主役は能面付けてるしな。嘆きのアリアを超絶技巧と人間離れした高音で表現し、しかも台詞は3回繰り返す世界とはかけ離れてました(笑)。しかし私も大概抑制されたものが好きな方ですが、そんでも付いていくのがしんどいのに、そのシーンになると会場のあちこちからすすり泣きが。お能文化おそるべし。これが分かるんならクソ地味な難解映画と呼ばれているものだって余裕で分かるよ。

終わった後「お能人口は何人くらいいるのか」とつい考えてしまう体験でございました。

第22回テアトル・ノウ「隅田川

 10月23日(土)14時開演(13時開場)、京都観世会館(京都市左京区岡崎円勝寺町44。地下鉄東西線「東山」1番出口より北へ徒歩5分。有料Pあり)TEL075・771・6114。

 舞囃子「自然居士」味方健、仕舞「邯鄲」片山清司、仕舞「実盛」片山幽雪、仕舞「芭蕉」片山慶次郎、仕舞「船弁慶」片山伸吾、能「隅田川」味方玄/味方梓。

追記

はてなキーワード経由で、結構面白い記述を見つけたので、参考メモ。はてな界では有名な猫々先生のblog。しつっこいな。さすが文系*3

「能は死ぬほど退屈だ」@ 猫を償うに猫をもってせよ
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20100731

  • 「なにを言ってるのか君に判るのか」高田−「全然判らんこと君達と同じだ。オペラと同じで、原文を知ってないと日本人にも判らないよ。」「おもしろいか?」「おもしろいかどうかを、辛抱して見ているんだよ。」
  • (略)
  • デュビビエ 僕が裁判官だったら、懲役五年と宣告する代りに、能を五カ年きくべしとやるね。(笑)
  • ブナール ほんとだ。天使島(イール・デザンジュ)へ十年流刑というのを、十年毎日能をきけか!(夫人に)君なんか行くといいね。好い修業だよ。(笑)
  • ブ夫人 一日でも死んでしまうわよ。(笑)
  • ブナール あれで日本人に面白いのが僕に判らんよ。
  • 高田 あれはね、演っている者や歌っている者にはたまらなく面白く、夢中になるのだ。
  • デュビビエ だって僕達は観衆なのだぜ。
  • 高田 そんな西欧的な劇の本質要素は能にはないんだ。あの原文は読むとなかなか美しいのだが、特権階級が楽しんだものでね、皆自分も歌い演るヤツが見るのだ。
  • (略)
  • ザッキン 公式招待ってのはよく出来てるね。さんざん食わしておいて、寝させないで、最後に能で息の根を止められてしまったね。(笑)
  • 高田 能に招待する主宰者が能がなんだか知らないのだ。日本の最高芸術だとだれかが言うから、そう思っているだけで、自分で判断していない。現代日本人の性格の最大の不幸はこれだよ。数年前パリのサラ・ベルナール座で能をやって天下の観衆を退屈させたのをあなた達知ってるだろう……。

現代日本人の性格の最大の不幸」のくだりはその通りだな*4。だからインテリとか教養主義者とかいう人種とは相性が悪いのだよ。

しかし、これ読むともいっかい思うでしょう?「お能人口は何人くらいいるのか」って。

*1:体毎、別の乗り物に載っててそれがスライドしてるんじゃないか

*2:先日会ったドイツ人がそんなことを言っていたので。

*3:注:褒めてます。

*4:細かいことを言うと、現代日本人じゃなくて現代日本文化人くらいだとは思うけど、まあこの席ではこれでいいんでしょう。