トリスタン・イズー物語を読んだ

もう書きたいことはアウトプットしきったのでいいだろうと、トリスタン・イズー物語を読んでみた。本当は年末年始の休みに読みたいところだったが、年末に気がつくと図書館は閉まっていたし、オンラインで注文するのも微妙な時期だったので、年明けの今になって図書館に行った。

閉館一時間前くらいに行って検索したら、書庫に潜らないといけないことが判別した。毎度のことながら、みんな古い雑誌とかで潜ってるのに一人だけ思いっきり趣味のものなので決まりが悪い。岩波文庫と河出書房の全集の2種あって、岩波の方が翻訳が好みっぽかったが帯出禁止だったので閉館までそれを読んで、半分くらい読んだところで続きは河出版で読もうと図書館を後にした。帰ってから気付いたが河出書房版は紙がもろくて、これはこわい。昭和26年の初版であったが、開架で置かれていた場所が悪かったのか日焼けがひどく、明治期の本だと言われても信じそうな劣化具合である。ついでに「フランス中世文学を学ぶ人のために」という本に「<トリスタンとイズー>物語群」という節があるので読んでみた。感想はこんなもの。

  • なげえ。別に物理的に長くないけど、しつこいという意味で長い。
  • 自分の妄想の方が面白い。先入観なく自由に妄想出来たという意味で、先に読まなくて良かった(←これから手を出すみなさんは、参考にしてね)。
  • というか、ワーグナーが現代的なんだよなあ。って時代もずっと新しいのだから当たり前だ。
  • 原作は、成立した年代のせいか、(私が勝手に期待してた)神話っぽいあやふやさがなくて、多くの人の手を経ただけあって、願望をありったけ込めましたみたいな話になってて、そこがちと萎える理由。
  • 大体私は完璧な美少年の話なんか読みたくないってば。子供じゃないんだから。
  • 「<トリスタンとイズー>物語群」による成立過程を一読するに、こうやってまとまるまでに口頭・写本ともに広く知られており、色んなバージョンがあって、そうすると色んな人が尾鰭を付けたのだろうなあという背景が想像され、色んな人の願望が詰まっていても仕方無いかもしれない。というか私は現代の共同創作文化を連想して仕方なかった*1。人間ていつの時代も変わらんなあ。


ところでこっそり今日の嬉しいこと日記。アナセンからHappy New Yearメッセージに返事が来てた。ミュンヘングレの歌のリリースを教えてくれたが、それは私はコペンに旅立つ前に買ってたってば!本人は今聴いたらしい。このオトボケっぷりは・・・・かっ可愛い。はっ!この日記は放っておくとアナセン萌え萌え日記になってしまうので、引き締めていかなあかんのだった。

*1:だから萎えたのかもしれん。