イリス@京都コンサートホール

これで2月のオペラ・クラシック鑑賞強化週間は終了です。〆は地元にてセミステージ形式のイリスでした。セミステージとはいえ、視覚面はかなり本格的なもの。そしてこの日が、この強化週間中で最も満足した日となってしまいました。遠征してみるも「やっぱりホームが一番ね」などと、どこぞで聞いたような台詞を吐いてみる今日の私でした。

さて、毎日あちこち行ってて帰ってきたらきたで留守中のフォローをしないといけないので、全然レポ書いてる暇がありません。このイリスは丁寧に書きたいところですが、まずは一番書きたいことを書くと、「な・・・なんじゃこのエロオペラはー!!!(←2幕鑑賞中の感想)」でしょうか。ではエロオペラの詳細は後日。刮目して待て!

PS 遠征中お世話になったみなさん、有難うございました。お会いできて楽しかったです。

レポ本文

http://www.kyoto-symphony.jp/archive/iris%20tokyo%20007.jpg
ではレポ本文です。京都コンサートホールはステージ背後にP席とパイプオルガンがある普通のコンサートホールですが(画像)、当日はステージの後方に演技スペース、前方にオケスペースと分割して使用し、さらにオケスペースの中央に客席前方まで行き来可能な階段状のスペースが設けられて、ここから歌手やダンサーが移動してステージ全体を使ったオペラの舞台が展開されます。照明を用いてパイプオルガンのある背景が効果的に使われ、セミステージ形式といいつつも、視覚的な満足度は全幕と比べて遜色のないものと言っていいでしょう。特に最初の太陽賛歌の合唱では、舞台を埋め尽くすセットの布と合唱の衣装のボリューム感に、ここがいつものあのホールかと思わされました。右上の写真は、この公演に先立って行われた東京公演時の写真ですが、パイプオルガンを使った照明などもこんな雰囲気で、ただ京都の方がホールが小さいのかもっと舞台装置がホール全体に迫っている感じがしました。合唱が左右に引いてオケが見えると、何故か指揮者がバーンスタイン張りにホームランをかっ飛ばしていました*1

さて最初に音響のことを書かないと気がすまないのは私の癖ですが、この形式が、何故か歌声が普通のオペラ(専用)劇場よりも聴き取りやすい。歌声を反射するプロセニウムも何もなく奥行き方向に長いシューボックス型のホールで一見不利になりそうなのに何故こうなるのか。全く不思議です。考えたのですが、専用のオペラ劇場は舞台転換のために4面、5面舞台構造になっており、背後や下は塞ぐとしても、上と左右には音の散ってしまう空間が出来るのがどうしても避けられないのに対して、この形式であるとそのような空間がないため声が効果的に届くのではないでしょうか。また京都コンサートホールは音の減衰が早く相当ハイ・ファイな印象のするホールで、オーケストラの演奏時には音量感が足らずそれが物足りない印象につながるようですが、オペラの場合には控えめなオケが却ってよいバランスになるのかもしれません。今回は、前半は2階後方(ほとんど1階後方サイドと言ってよい高さ)、後半はお気に入りの3階サイドで聴いたのですが、3階はもちろんオケの響きが良いのですが、いつもなら不満の出る2階でも全く不満を感じなかったことが驚きでした。


さてイリスのストーリーですが、超簡単に言うと、田舎で盲人の父チェーコと暮らす15歳の娘イリスに目を着けた「キョート(吉原の芸者屋の主人)」と「オオサカ(金持ちで好色な若旦那)」は村を訪れた人形劇芝居の一座を装ってイリスに近づき幻想的な雰囲気に幻惑させて攫ってしまいます。チェーコにはイリス本人名義の置手紙と金を置いていきますが、取り残されたチェーコはそれを知ると激怒して後を追います(以上1幕)。こちらで舞台写真付で簡単なストーリーの流れを見ることが出来ます。

2幕は置屋のシーンで、これが問題満載なんですが、置屋で目覚めたイリスが自分は死んだと思い込み、死んだらなんでも出来る筈と三味線や化粧に挑戦するもうまく行かず、おかしいなと思い始めたところに「オオサカ」が登場してイリスに迫るも拒まれ金や着物で釣ろうとするも釣れないので、なんて退屈な娘だと捨て台詞を吐いて帰ってしまいます。続いて「キョート」はイリスに透けた着物などでそれらしい格好をさせて置屋に立たせると評判になって人々が集まり賞賛しイリスが逃げ戸惑っているところに父チェーコが現れ、イリスが父に縋ろうとすると父はイリスを罵るので、イリスはあっさり身を投げてしまいます。私はここで終幕かと思いました。

ところが3幕があって、イリスがあの世で目覚めるとキョート、オオサカ、チェーコが次々と現れ、身も蓋も無い本音を露呈し「世の中そんなもの、ほなさいなら〜」とか言って消えていきます。全てを聞いたイリスは太陽の導きでアヤメ(iris)に生まれ変わって幕となります。

とまあこんな感じで、マダムバタフライ以上にしょうもない感じです。ゲネプロ時の舞台写真が特設サイトで見れて、当世流行オペラ通信でリブレット全文が読めます。ちなみにリブレットはマエストロ井上の手によるもので、当日は1幕のオオサカの台詞が「俺 有頂天 → うわぉ、俺、萌えるわ*2」とより現代ナイズされたなど多少の変更があった模様です*3。字幕はなかなか凝ってて、祈りのシーンはちゃんと漢語になってましたが、あれ、どのくらい原作に忠実だったのかな?

劇中劇の場面と続くダンスシーンでは、人形師による芸とダンサーによる舞台が展開され、作曲当時のオペラ事情を日本ナイズしたものとしてはなかなか凝った試みになっていました。ちなみに幕間で昔の知り合いとバッタリ会って発覚しましたが、衣装協力者etcと結構つながりがあった模様です。京都は狭いからなあ。

1幕の時点では、視覚的に楽しめる舞台になっているということと、音楽的な満足感が予想よりも高かったことに満足して、引き込まれて楽しく鑑賞しました。イリスは清楚な娘役ということでは、声、姿ともに、これ以上考えにくいくらいハマっていたと思います。タイトルロールとしては表現がやや単調に(いかにもソプラノ調に)留まりがちだったのがやや惜しい程度か*4。キョート役の人(バリトン)はホールでよく届く声質のいい声でしたね。表現もこの役には充分だったと思います。惜しかったのはオオサカ役の人(テノール)で、リブレット的にも「澄んだ声」でイリスを誑かすためにこの声が必要という役どころなので、それらしい声が欲しかったところですが、どうも喉が詰まったような感じでした。歌唱スタイルから考えると本来もっと伸びのあるタイプでこの日は喉の調子が悪かったのではないかという印象でしたが、お風邪でしたかね?チェーコ役の人もいい声でしたが、登場シーンが短いせいかよく分からなかったなあ。あと人形劇の主人公と芸者を演じたソプラノさんは非常に良かったです。イリスよりは深めの声で同時に登場する女声同士の対比という意味でもよく、役に対して声も表現も満足です。合唱は良かったと思います。京響の演奏は、あの明るく澄んでまろやかなサウンドがオペラ的に控えめな演奏だと、一音が一音が心地よく響いてきて、一層良さが引き立つなあと思いました(←ベタ誉め)。先週の井上氏の演奏を聴いた感じでは、私の愛するちょっとした外しや絶妙さとは違う方向性なのかなと思わないでもなかったのですが*5、本日はハマっていたと思いました。最後の人形劇が大詰めを迎えてダンサーが出てきて幻想的な雰囲気が展開されるところでは指揮者自ら決めポーズに参加し、芸が終わって去っていく一座に金を配りといった芸も披露していました。指揮者がそんなことをやっていてもアンサンブルが乱れずこのシーンに必要な音楽面の雰囲気がちゃんと実現されていたのにも感心しました。

あれ、問題の二幕の箇所まで行きませんでしたね。続きは明日。

2011年2月20日(日)3:00pm
マスカーニ:歌劇「イリス」 京都市交響楽団 特別演奏会
京都コンサートホール・大ホール(セミステージ形式)
井上 道義(指揮&演出)
舞台監督/小栗 哲家 
照明/足立 恒
衣装デザイン/谷本 天志
イリス/小川 里美  
チェーコ(イリスの父)/ジョン・ハオ
オオサカ(金持ちで好色な若旦那)/ワン・カイ
キョート(吉原の芸者屋の主人)/晴 雅彦  
ディーア&芸者/市原 愛
くず拾い/西垣 俊朗
踊り子/(美)橘 るみ、(吸血鬼)馬場ひかり
人形師/ホリ・ヒロシ
邦楽師/杵屋利次郎社中
胡弓/篠崎正嗣
合唱/京響市民合唱団
管弦楽京都市交響楽団

*1:ここでホームラン動画を紹介したいところですが、残念ながらバーンスタインの「炎のヴェルレク」動画は削除されてしまった模様です。ああ無念。

*2:うろ覚え失礼。

*3:でもその「萌える」の用法はちょっと違うと思わんでもない。

*4:ちなみに当blogの主は声でなく表現に主を置いた鑑賞の仕方をするタイプで、表現に対する要求はとんでもなく狭く、平気で有名歌劇場で主役を貼るクラスにNGを出すので、そんな奴の難癖は放っておいて、一般には充分かと思います。

*5:それも曲目によるのかもしれませんが。