京響定期3月

今日はすごく楽しみにしていた京響の演奏会だった。どのくらい楽しみにしていたかって、いつものP席と1階前方エリアと、2枚チケットを用意して待ち構えていたくらいなのだ(←その基準はおかしい)。迷ったけれど、行かなかったからといって、その時間分役に立つことが出来るわけでもないので行くことにした。

あ、2枚分の座席を一人で確保なんて勿体無いことはせずに、ちゃんと人を連れて行きましたよ。前半と後半で聴く場所を変えたいなんてイレギュラーな趣味に付き合わせるためには、こだわりのなさそうな人選をする必要がありましたが。

前半をまず1階前方で聴いて、後半はP席に移ろうという目論み。これは予想通りアタリでした。やっぱり迫力が違います。逆にやったらさぞフラストレーションが溜まったことでしょう。今後このホールで私が1階のチケットを買うことはないと思いました。ついでに2階も。このホールはP席と3階のオケ上エリアだけがやたらよくて、他は演奏を遠く感じさせる傾向があります。P席は最初のうちは違和感があるかもしれませんが、一旦そこを超えると止められなくなってしまう迫力があります。でも私が本当に好きなのは、3階のあの明るくて少しだけまろやかさが入る*1ファインな響きです。

第1曲目は、ショスタコーヴィッチのバレエ組曲。今回こんなことがあって、ずっと心ここにあらずで、正直演奏を聴く態度としては全然なってない、何を見聞きしても砂を噛むような精神状態からのスタートだったのですが、広上のおっちゃんの全身を使った指揮と、京響のいつも通りの音と、ショスタコらしい可愛い系テクノみたいな展開を追いかけていたら、大分和んできました。でもまだまだ緊張で硬くなった身体がちょっとほぐれたかなという感じ。いつもよりちょっと遠い演奏を眺めながら、おっちゃんの指揮姿はあれでダンスとして完結してるよなあ、なんとかして売り込めないか(←何処に?)とぼんやり考える。

でもやっぱりこういう曲で一瞬も違和感がないのはすごくて、おっちゃんはすごいと思う。いつもみたいに入れ込めなくて距離を置いているのに(つまりそれは粗を感じやすいということだけど)本当に一瞬も違和感がない。これはすごいことだ。いつも分解的に、あのパートがどうだということに意識が行ってしまうところを、全然そういう聴き方をする気にさせないのもすごい。これは座席(場所)のせいもあったかもしれないけど。

スコットランド幻想曲は、やっぱり私は協奏曲の聴き方が全く分かっていないし、我ながらおっけーなソロの幅が狭いなあと思った。表情は面白く感じるけど、音がそんなに好きじゃないんだよなあ。交響曲に散りばめられたソロなんかは、かなり心地良く感じることもあるんだけどなあ。生で聴いて満足したヴァイオリン・ソロって、いまだ一人しかないしなあ。いつまでも絶対評価してないで、このくらい聴ければ満足というのを覚えなければいけないのだろう。

後半の画家マティスがすごくて、気迫の篭った演奏でした。私はこの曲はサロネンのオペラバージョンで馴染んでて、いまから考えると、そんなんで耳慣らししてたら不満が出そうなチョイスでしたが、全然、全く、不満が出なかった!えらい!!今日はトロンボーンが一人いい音を出してることに気付いて*2、そしたらそれが本日退団の方でした。今後また聴ける機会があれば是非馳せ参じたいと思いました。

後半はすっかり入り込んで、色んなことを忘れさせてくれて、これまで緊張でガチガチしてた身体が、別の意味で力が入って、終わったときには心地良く疲れてました。気持ちばかりが空回りするような嫌な意味での疲れに凝り固まっていましたが、運動した後のような充実感をもらいました。ありがとう。

帰りはやけに渋滞しているなと思ったら、メンバー総出で募金箱を抱えて募金渋滞が出来ていました。

第544回定期演奏会
3月26日(土)2:30pm 京都コンサートホール・大ホール
広上 淳一(常任指揮者)
シン・ヒョンス(ヴァイオリン)
ショスタコーヴィチ:バレエ組曲第1番
ブルッフスコットランド幻想曲 op.46
ヒンデミット交響曲「画家マティス

*1:ここが「少しだけ」なのが重要なポイントです。

*2:でもセクション合奏状態になるとあんまよくないんだよ、駄目じゃないけど「すごく良い」「特筆したいほど良い」じゃないの。難しい。