音楽との出会い方

この日のテーマですが、ある曲・作曲家にハマるかハマらないかって、演奏にもよると強く思うんですよ。それで膨大にあるリソースからどうやってそういう演奏にアクセスするかですが、私は誰かが聴いて面白いと思ったものってヒット率高いと思ってます。それプラス自分の場合はあるパターンがありまして、8割の人が良いと言うものより、ある人は熱烈に褒めるが別の人は貶すもの、そういう両極端な反応を引き起こすものが、自分の好みにマッチする可能性が高いと思ってます。だからwagnerianchanさんとこのアンチェルの記事みたいなことが書いてあると、これは聴いてみなければという気分になります。天邪鬼ですかね。隠れキリシタン気質?

http://d.hatena.ne.jp/wagnerianchan/20110103/1294064807
今から20年ほど前になりますが「これはいいよ!!!」と友人に勧めたところ「なにこれ?」と一蹴されたのです。そのため、他の「シンフォニエッタ」の演奏も色々聴いたのですが、さっぱりいいと思えず、あまり大した音楽ではないようにも思ってました。「う〜ん、このアンチェルがいいんだけどな〜」と思いつつ「隠れ切支丹」のように聴き続けてきたわけです(←おおげさ?)

で、思うのは、みなさん出会ったいい演奏をシェアしましょうってことだったり。この日記では、なるべくその時に出会ったいいものをリアルタイムで書いていきます*1。どんな種類の良さかということをなるべく主観的に書くようにしています。そういう種類の文章の方が自分にとって参考になるからです。経験が蓄積すると、多数ある演奏の中で(あるいは先行する録音と比較して)どのようなポジションかという情報が参考になるのかもしれませんが、なんてのかな、私が出会いたいのは、「いつもはそういうことを言ってるけど、今回だけは違うことを言いたい!」と聴き手に思わせるような演奏なんです。


「ある人は熱烈に褒めるが別の人は貶すもの」に関してですが、私は基本的に外しが好きで、不安感とか不安定さにすごくよく反応するので、それがうまくハマった時の本能的なインパクトはものすごくて、相対的にそれ以外のものは全て霞んでしまうので、そういう要素のない演奏って、仮にうまくても「うまいけどそんだけ」「つまんない」「どうでもいい」になってしまうんです。別にそれが駄目ってわけじゃないけど、私にとってはハズレではなかったってだけで、「もう一度聴きたい」にはならない。この嗜好だと隠れキリシタンになるのは必然なのかなあと思います。

あと「明るく投げやり」「のほほんクレイジー」が好きですねえ。この嗜好にマッチするのがデンマーク音楽です。楽曲というよりは演奏の個性がこれだと思ってます。でもこれって、誉めてるのか貶してるのか分からない表現ですね。

大体わたしはすごく本能的に音楽を聴いてまして、右脳的でなく左脳的な聴き方というのか、音が映像イメージに変換して止められなくなってすごい勢いで流れていくとか、すごく高揚する、胸がドキドキする、呼吸が出来なくなるってのが強く感じた場合の反応で、よく他の人の話に聞く「感動した」「涙が出た」ってのはまだ無いし、このままだと一生無いのかもしれません。この感覚の続きにそれはない気がするんです。背景、描かれている状況、そのときの自分の状況によって泣いたってのはありますけど、それって物語に動かされたのであって、音楽を聴いて無条件に感動ってのとは違いますよね。


話が大分ずれてきたな、よい演奏との出会い方でした。後は、私が新しい音楽と出会うきっかけは、定期で通ってるオケがとりあげたとか、地元のホールでやるとか*2、好きなアーティストの録音だとか公演だとか、好きなアーティストが好きな曲・演奏として挙げていたとか、そんなところでしょうか。ネトラジについて行くだけで時間が足りないので、昔みたいにジャンル毎ニューアルバムをチェックするみたいな習慣はないですね。

このパターンのうち実演がきっかけってのは、実は、実演で満足しちゃうと他の演奏を聴いてみようという気が起きないかもしれません。むしろ完全に満足しなかった場合に他の演奏も聴いてみたいと思うし、積極的に不満を持ったときこそ他の演奏を探そうと思うかも。特に一番最後はオペラで特定の役に不満を持ったときのお決まりのパターンです。満足しちゃうと、なんでしょうね、印象を上書きしたくなくなるのかな。

*1:その瞬間に書かないと大抵書かずに終わってしまうし、書いてもその瞬間に公開しないと、後で読み返してから公開しようなんて思って先送りすると、大抵駄目ですね。なんか気恥ずかしくなったり、別にわざわざ言うまでもないか、となってしまいます。

*2:でも演奏の好き嫌いが激しいので、地元でやるから行くという理由ではなかなか出かけないのが正直なところ。