上村昇/無伴奏チェロ組曲(1夜目)@アルティ

無伴奏チェロ組曲を2夜に分けて全曲演奏するという企画。最近ありえないくらい時間の感覚が無くなっていて、ふとスケジュール帳を見たら、次回が明日(もう日付が変わった後なので、今日か)だった。このブログのために1夜目の記録をしようと確認したら気がついたので、ブログも時間泥棒ではなく役に立つこともあるらしい。

上村 昇チェロリサイタル
J.S.バッハ無伴奏チェロ組曲全曲演奏会〜
2011年12月17日[土]18:00〜20:00 京都府民ホールアルティ
第3番、第2番、第6番

無伴奏チェロ組曲は音階練習のための曲みたいな作りなので、1曲毎の個性が分かりやすいものではないと思うが、そん中でも、1夜の中で、1曲目は分かりやすい曲、2曲目は比較的難解な曲、3曲目は綺麗目(?)と並べてあるようだ。この日は、なかなか心地良い時間を過ごせたものの、分かった!というところには至らなかった。2夜目に期待。とはいえ、例の単声でありながら多声的という性格を、奏者を目の前にして生の音で感じるのは面白い。

私がクラシックを聴き始めたのはつい最近なので、ちまたのクラファンのような蓄積は全くないのだが*1、この無伴奏チェロ組曲だけは例外で、90年代のポピュラー・ミュージックのアルバムになるのだが、採石場やらの残響の多い場所でサクソフォンを吹き鳴らして多声的に聴かせるという企画のアルバムがあって、それこそ何百回と聴いてきた。今でも一晩中走っていて朝方になると聴きたくなったりする。この演奏の印象が強かったので、残響によってより多声的な性格が強くなっている状態を、なんとなく基準に置いてしまっていた。本来のチェロの演奏は、その点はもっと儚いものだった。また、その頃から、各曲が、なんとなく調子は違うものの、どう違うのかイマイチ分からないなーと思っていたりして、やっぱり生で聴いてもその状態を抜け出さなかったりしたので、成長がないというべきなのか、三つ子の魂百までというべきか。違うけど似てるんだよね。同じコンセプトなので当然なのか、この後「そうだったのか!」がやってくる違いが実はあるのか。次回に期待しよう。ちなみに、このアルバム、当時は3曲ずつ2枚のアルバムがリリースされたのだが、今では全6曲の2枚セットが発売されていて視聴も出来る模様(下のリンク)。オリジナルであるバラのディスクのレビューを読むと、当時の評価の一端が伺えるかもしれない。

*1:とはいえ、オーディオマニアの親父の影響でかなりの時間クラシック音楽に晒されて育ってはいるらしい。自発的に聴くようになってやっと自覚したのだが、この親父のコレクションがものすごーく偏っていたらしく、今日の標準的なものになかなか馴染めず、超絶偏ったものを勝手に基準にしてしまう状態からなかなか抜け出せないでいる。