お能とデンマーク音楽のおそるべき共通点
お正月は時間がたっぷりあるようで毎日なんかしらあって、普段よりPCに向かえる時間がないですね。
さて、今日は、知人を呼んで家で鍋会をしてました。そこで謡(うたい)の話題になり、私は全く心得がないのですが興味だけはあったので、教本*1とかルールのことを聞いていたのです。これはめちゃくちゃ面白いですね、耳から鱗な話の連続でした。なかでも驚いたのが、抑揚は細かく指定されるけど音程は決まっていない(師匠の発声を聞いて耳コピする)ことです。それはすごい。しかも教本には実質歌詞しか書いてなくて、抑揚の部分は師匠が書き入れる*2んだそうです。それじゃ忘れられていた作品を譜面から復元とか全く出来ないじゃん!いやあ、すごい世界であります。
しかし学校で習う西洋音楽のルールに馴染んでいるから奇異に思うだけで、それ以前の世界ではそれが当たり前のことだったのかと思うと、それも不思議な気持ちがします。しかし音程が決まってないからコーラスなんて揺れ揺れで、それが不思議な迫力となるのですが*3、西洋音楽の価値観から見たら「あれは音楽ではない」となるでしょうねえ。
で、謡の見本をやってもらったり自分で真似てみて、これはひょっとして・・・と思い当たるものがあり、以下のアルバムを聞かせたら大ウケでありまして。みんな笑い過ぎ。せっかくなんでサンプル音源を付けておきます。
Lewkovitch: Vocal & Instrumental Works サンプル1 サンプル2 サンプル3 |
全体にお能の謡そっくりだそうですが、特にサンプル2が、場面とか構成まで含めてそのものだそうです。もう場面まで目に浮かぶそうで。つーか「シテ」とか「ワキ」とか言い出してるし。つーか、サンプル2って、これ音楽?つーか楽譜は?みたいな。これでも立派な現役作曲家の新作なんですけどねえ。こういうのって宗教音楽として元々こういう様式があって、それをちゃんと踏まえているんですよね?たぶん?
「なんでこんなの持ってんですか」って言われちったよ。なんでって言われても。まあ日本中探して、このアルバムをこんなに聴き込んでるのなんて私だけだろうけど。そうなんです、初聴きのときは「なんてケッタイなんだ」と思ったんだけど、なんだか癖になってしまうのです、この音楽。今回ちゃんと音を出して再生してみて、サンプル2の合唱の不思議な音響効果に気付きまして、是非PCではなくちゃんとした再生環境で聴いて頂きたいところですが、これは善光寺の胎内めぐりで聞いた読経を思い出させるものでした*4。
今度謡のCDをデンマークに持って行って聞かせて、感想を教えて欲しいらしいです。