京響ニューイヤーコンサート2012

ひょっとして、これが今年の初コンサートでしょうか。本当は1月5日の兵庫のワンコインコンサートに行くつもりだったのですが、色々と調整した結果行けなくなってしまいました。去年までは社会人としての諸々を犠牲にしてでも行ってたのに、用意したチケットを無駄にしたことがないのが自慢だったのに、このスタートは、今年の運命を暗示しているようです。あまり色んなことに首を突っ込むのは止めないと。

そして今日は折角出かけたのに携帯を持って出るのを忘れてしまい、コンサートの後はどうしても待ち受けをしないといけない役回りが当たっていたので後ろ髪引かれつつ不満たらたらで渋々取りに戻り、新年最初から遅刻という幸先の悪いスタートになってしまいました。

というわけで2曲目のアデーレのアリアから会場に入り、1階後方の立見でジュリエットのアリアまでを聴き、そこから3階の自席に移って聴きました。この経緯で聴き比べると、いやあ、全然違いますなあ。1階はそもそも音が来ないし、全然明晰じゃないし。明晰になっても耐えうる・・・どころか魅力を増す京響の演奏なんですから、こっちで聴かないと損ってもんです。1階後方のエリアは音が来なくて刺激が少ないのが好まれるのか、非常に高齢者率が高く(特に定期)、ひそかにシルバーエリアと私は呼んでいたりするのでした。

ソリストの幸田さんは、ジュリエットのアリアで「・・・お!」と思って、まず声量があるなあと。いや声量があるというとちょっとイメージが違くて、大きいというより、一人分の声でオケパート全部と釣り合うような存在感、質的なボリュームがあるとでもいうのかなあ。でも1階だとはっきりは分かっていなくて*1、その後移動して3階で細部まで分かる状態で聴けたオランピアのアリアではかなり感心しました。何がどうかというと、なんつーか、やっぱり「存在感のある人」だなあと。声が厚いとか声量があるとかいうんじゃなくて、そう表現した方がしっくり来る。オランピアのアリアは聴いていて引っ掛かったりする箇所のない、非常にこなれたものでした。お約束の箇所では指揮者が巨大ネジを使ったり小芝居をしたりして笑いをとっていた。このアリアは客席からも大ウケだった。

前半のアンコールでマスカーニのアヴェ・マリアをやってくれました。丁度カヴァレリアを聴いていたところだったので、ナイス・タイミングでした。


岩村氏の指揮は、いい音を引き出していたと思います。私ははじめてでしたが、京響とは入門企画やかんでんクラシックなどで毎年共演しているようです。ただ、さらさらと流れてしまって、あんまし印象に残らないところも。馴染みのあるオペラのピースやボレロはともかく、はじめて聴いたデュカスとイベールは、帰ってきて思い出そうとしても難しかったり。

最後は京響十八番のボレロ。たまに他の国内オケを聴いたときに何が一番不満かってパーカッションに大々々々不満を持つことが多いわけですが、そんだけ普段馴染んでるものが優れているってことだと思うのですが、しかし演奏の感想で「今日はパーカッションが良かったー」とはならないわけで、良くて当たり前でダメなときだけ注目される、そんな、サラリーマンで言えば間接部門のような存在のパーカッション部門に、精確無比なリズム、実は人間には難しい種類の緩やかな起伏とテンションが15分に渡って要求され続けるこの曲は、本当は満足させるのがとても難しい曲ではないかと思うわけなのですが、今日もその点は完璧でした。各ソロもとても美しく、特にファゴットの音色が素敵で、でもフルートもオーボエクラリネットもみな素晴らしく、あと珍しくトロンボーンが好感触でした*2


最後に書くことはただの直感で根拠の無いことですが、今日はちょっと、ロビーや終演後の様子から、ある予感を感じました。書くと言霊が宿っちゃうかもしれないので黙っときます。いつか「あれ、いつのことだったかな?」と思ったときのための自分のメモです。

2012年1月8日(日)2:30pm 京都コンサートホール・大ホール
京都市交響楽団特別演奏会「ニューイヤーコンサート
岩村 力(指揮)
幸田 浩子(ソプラノ)

*1:というのもその後移動して聴き比べたから言えることであって、ずっとそこで聴いていたら「そういう歌唱/演奏なのだ」で終わってしまうのかもしれない。

*2:私はどうもトランペットとトロンボーンは相性が悪いらしく、このセクションはなかなか高評価出ないんですよ。デンマークになら好きな奏者いるんですけどね。