イーゴリ公@オデッサ歌劇場

うーん、伸びっ放しで、草ボーボーで、どうしたらいいか分かんない・・・これが序曲の第一印象でありました。私は音が視覚化されてしまうタイプの人間で、音響を勝手に視覚にした挙句に、違和感のある発生源を「ここ、刈り込みたい」などど失礼なことを考えてしまいがちなのですが、この日は、刈り込みたいなどと思えるのは完成に近いからであり、どこもかしこも放置状態なら、そんなことも思えないことを思い知らされたスタートでありました。しかも、オケピでは指揮者が全く機械的にイチニ、イチニと棒を上下運動しています。舞台の上では、これまたハの字に並んだ合唱が、全く音楽的でないバラバラした調子でイチニ、イチニと槍だの楯だのを上下運動しています。今日一体どうなっちゃうの?と思った瞬間でありました。

いやー。最初に書いちゃうと、次の日のトゥーランドットも含めてウクライナ国立歌劇場の両演目行ったんですけど、ここは演技や合唱の動きということでは全く旧態依然とした劇場で、合唱は常にハの字に並んで突っ立って歌っているだけだし、ソリストもいかにも一昔前のオペラ的演技というか、殆どの時間は突っ立って歌って、その合間にちょこっとだけ分かりやすい演技をするって感じですねえ。最近は国内の市民オペラでも、なかなかこういうのはないので、逆に貴重だったかもしれません。

オケのここまでの統制のとれていなさ、放置状態というのも、わたしには初めての体験でした。あまりにも音が好き勝手で整っていないので、ミスとかしてても気付けません。しかし、なんというか、たぶんこれが常なんでしょうねえー。オペラの演奏なんか毎日のことなんだから気にしてはいられないよ、という空気を感じました。

そんでもよく聴くと、金管とパーカッションが放任状態で、木管や弦などは、それなりに心地良い音も出ていないわけではありません。(続く)

追記/イーゴリ公オデッサ歌劇場

続きです。

その前にオケ話の続き。気になって序曲の録音を色々聴いてみたのですが、マリインスキーでも同じような違和感ありますね。金管なんとかしてー。この音色の好き放題は嫌。イヤイヤイヤ。掛け合いが掛け合いに聴こえない。弦はいいから、それは共通だから、やっぱりこんなもんで、ないもの強請りかも?http://www.youtube.com/watch?v=l_xUIVhM0h4

私の予習盤はウクライナ国立放送響のハイライト版なのですが、こっちは全然マシだと思います。http://ml.naxos.jp/album/8.557456

続く群集の合唱では、ハの字に並んだ合唱を見ながら、ここで合唱がダイナミックに動いてくれると映えるのになーと脳内エア演出が止まりませんでした。あそこだったら絶対そうする音楽だよなーとついつい考えてしまう今日この頃。困ったもんだ。

ところでイーゴリ公は、今のウクライナに当たる土地の領主で、そこにトルコ系遊牧民(ポーロヴェツ人)が攻めて来る話だそうです。だからウクライナ国立歌劇場による上演は、ロシアの歌劇場よりある意味では本場物と言えるかもしれませんね。オーケストレーションは、完成にリムスキー・コルサコフの手を経たためか、ボリス・ゴドゥノフ(リムスキー・コルサコフ版)を聴いてるのかと錯覚する瞬間があちこちにあります。

セットは、この演目のためのロシアン貴族の顔がいっぱいに描かれた幕が上がって、一幕は丸っこい意匠のロシア風宮殿前広場とその一部が動いて室内のシーン。二幕は、コンチャック汗の陣地だけど、登場人物が腰をかけるベンチ風の小道具があった以外は見事に記憶に残っていない。あれれ?夜のシーンではあった。三幕はカットされて急に四幕になって、一幕のセットの一部を配置をかえて広場?湖が見える鐘着き台。鐘が可動になってるくらいで、あんま芸はない。セット全体の中では、この演目用の幕が一番凝ってたかも。生地は紗幕で後ろのセットが透けて見える。衣装は割と凝ってた。でも上に書いたマリインスキーの画面のような重量感はない。

ストーリー的には、3幕をカットしたせいもあるのでしょうが、あれれれ?それだけ?って終わり方でした。なるほど。韃靼人の踊りなど超有名シーンを含む割には、なかなか上演されないのも分かる。作曲家が未完で亡くなったから仕方ないことでしょうか。

この日は3幕のカットと、シーンの一部入替えで、こんなストーリーです。イーゴリ、軍を率いて出陣しようとしたところ、不吉な日蝕に遭う*1。その妻は行かないで欲しいと懇願(聴かせどころ)するが出征する。主のいなくなったところで義弟やりたい放題。妻は困る。

敵の陣地で捕虜になっているイーゴリ親子。息子は敵の大将の娘とデキている。大将はイーゴリを歓待する(韃靼人の踊り)。逃亡やら、紐着きの解放やらの話が出るが、イーゴリは決断しない。
(この後に、イーゴリが逃亡するに至った事件と逃亡時の出来事が描かれる筈だがカット。)
イーゴリの妻嘆いている。出征時にエスケープしたグードリ弾き二人組がおもしろおかしくやっているところにイーゴリ帰還。妻や民衆が歓待して幕。

ね?突然でしょ?「で?」っていう。


序曲からはじまって、演奏も合唱も、音楽的には今ひとつだなあと思いつつ、でもロシアンな様式が味わえるという点では外してないと思いつつ見てて、そしたらヤロスラーヴナ(イーゴリ夫人。ソプラノ)がなかなか良くて、ここでおっと思って、二幕の韃靼人の踊りで一挙に演奏が変わったというか、ここだけ明らかにこなれ度が全然違うなーと。で、女声合唱のとこはすごく良くて、音が飛び込んで来るような勢いと綺麗なハーモニーを聴くことが出来ました。この箇所は次の日まで耳に残ってました。

ですが、ここ、女声合唱と混声・男声合唱が交互に入るのですが、なんか、混声になっちゃうと、どうもイマイチなんですよね。音に迫力が無くて、まるで自信が無くて奥に引っ込んだ感じというか。合唱としては珍しいパターンでした。でもまた女声合唱のパートが来ると良かった。この日は、ここだけでなく全体を通して合唱でも奥に引っ込んだ感じだった。次の日のトゥーランドットでも女声がはいいけど全体になるとイマイチだったので、そういう実力なんだろうと思いました。


ソリストも、なんとなく奥に引っ込んだ感じが、この日はあったんですよねえ。もっとも、これこそ音響によるもので、座席にもよるのかもしれません。私は3階の舞台寄りにいましたが、劇場の中でも、舞台の音が立って聴こえるように狙って座席選んでるんですが、裏目に出てしまったのでありましょうか。次の日の別の会場ではソリストが引っ込んだ感じって無かったので、二日続けて別会場で聴いて、勉強にはなりました。

さて個々のソリスト編。イーゴリ公は、うーん、とってもロシアン。歌そのものは心地良いのですが、でもちと弱い?上に書いた奥に引っ込んだ感じから今ひとつ抜け出せないようなところがありました。

本日ダントツで良かった、そして会場からまとまったブラボーが出た唯一の歌手が、ヤロスラーヴナ役のアーラ・ミシャコワ。とってもたおやかで控えめな人物像で良かった。上のマリインスキーの音源とか観てると、一幕で行かないでと言い出すときのヤロスラーヴナがなんか押し付けがましくて我侭で、なんだか嫌な女なんですが(ごめんなさい!)、これ観て逆に吃驚しました。だって公演ではそういう要素がこのロールにあるとは、全然、全く、一ミリも感じなかったんですもん。公演でも良い歌手だと思ったけど、その瞬間に感じた以上にすごいことだったのかもしれません。

ガリツキ公は、わたしはダメだ。ヘナヘナなんだもん。歌に芯が入ってなくて流れて行ってしまう種類のヘナヘナさっていうのかな。

息子と娘は、私的にはどうでもいい感じだった。いわゆる張上げ系の声質勝負歌唱。これぞオペラという方も多いでしょうが、私のテイストじゃないです。

コンチャック汗がちょっと面白くて、やっぱり奥に引っ込んだようなところがあるものの、なんだかユーモラスで良かった。それに、ロシアン低声対決が超面白かった。イーゴリ公のパートはバリトンなんだけど、それでもすごく低く感じるのに、それ以上に低くて、この低声2声が絡み合うのを聴くのは「おおー!もっとひーくーいー!」って感じでとっても面白かった。このロールも自然にユーモラスなのかと思いきや、マリインスキーの映像では憎々しさしか感じなかったので、これまた吃驚した。

しかし、やっぱ、韃靼人の踊りの直後にイーゴリ公が帰還して終わりだと、「で?」って感じにはなりますよね。韃靼人の踊りがバレエ付きで観れたのと、ヤロスラーヴナ役とコンチャック汗が中々だったのでヨシとするかな。

ウクライナ国立オデッサ歌劇場「イーゴリ公
2012年1月28日(土)兵庫県立芸術文化センター
指揮:ユーリィ・ヤコヴェンコ
演出:スタニスラフ・ガウダシンスキー
イーゴリ公:アレクサンドル・ブラゴダールヌイ
ヤロスラーヴナ:アーラ・ミシャコワ
コンチャク汗:ウラジーミル・グラシェンコ
ガリツキー公:セルゲイ・ザムィツキー
ウラディーミル:アレクセイ・スレブニツキー
コンチャコーヴナ:リリア・クチシェヴァ
オヴルール:イェヴゲニー・ガヴリシ
エローシカ:イーゴリ・コルナトフスキー
スクーラ:コスチャンチン・ウルィビン
ウクライナ国立オデッサ歌劇場管弦楽団・合唱団・バレエ団

*1:演出上、ここは完全に暗くなるので、暗い大きな空間の中で耳が研ぎ澄まされて面白かった。