最近のボヤキ

長いこと京都会館のことを書いてませんでしたが、私も、あんま言いたくないんですよ。ああいうこと言ってたって嫌われるだけだし。この国は行政や大企業への信頼は非常に高くて、何度裏切られても非常に異常に高いままで、たまにはおかしいことが発覚してもそんなのは例外で基本的にはちゃんとしてると思われてて、根本からマズいってことが発覚しても「現実的に考えろ」ってことにすぐなっちゃって*1、批判する方が頭がおかしいか被害妄想だと思われるから。小悪だと批判に現実味が出ちゃうから、思いっきり悪くしておくのね。そこまで悪いと「何から何までおかしい」って指摘になるから、聞いた人は「そんなに何から何まで悪いことはまさかあるまいから、言う方がおかしい」と勝手に思ってくれるから*2。だから、これは、民衆がこういう気質である限り、民衆自身が原因でこうなっていると私は思うのですよ。

なんつうか、たまに悪い奴はいる。そんなん何処にでもいる。いるけど、問題は、その他の多数の人間が、自動的にそっちの味方をしてしまうような(もちろん彼らにはそういう自覚はなくて、謙虚で信頼感が強いだけだ)、そういう性質であることなんです。だから悪用する奴がいると対抗出来ない。善意でそうなってるもんで、どうやって解決したらいいか分からない。


また日本人てのは、私欲で行動する奴には甘くて(というか、それが当たり前なのでそっちが基準になってて)、私欲以外の動機で行動する奴ってのにはとりわけ厳しくてねえ。基本的に疑いの目で見られるし、些細な欠点でもあろうものなら、偽善者で信用ならないと全否定される。どんな人だって隙のない人はいないから、そりゃ些細な問題は見つかるでしょうが*3、それを言い出したら、あっちの「問題だらけ」はどうなのよ、と思うわけだが、それは問われない。基本的に、私欲で動く奴に問題があるのはスルーで(それが現実だということで)、正義面する奴は、どんなに些細なことでも致命的なくらい気に入らない。そこに対しては潔癖症なのだ。

積極的に問題がなくても、謙虚でないってポイントが気に入らないという。この謙虚ってのがクセモノで。声を大にして言う者は謙虚でない(から信用ならない)と言い出したら、世の中悪用する奴の「やったもん勝ち」です。


私は、謙虚であれとか、従うことを覚えろとか、そういう教育は非常に警戒している。君が代日の丸の強制とか、便所掃除を美化して語るとか、そういうのは大抵それの兆候だから警戒している。世代的には君が代日の丸に特別思うところはないし*4、便所掃除は普通に必要だし私だって毎日しているが、こういうことを言い出す奴は、民衆の無力化と自分に都合が良くなることを狙っているので、本当にそういった精神の人はそんなこと言わないことを知っているので、警戒するのである。

単なるボヤキであるので特にオチはないが、どなたかの参考になれば幸いである。


じゃなくて、そういうことを書こうと思ったのではなくて、今回の京都会館再整備の進め方の問題点を書き出しておこうと思ったのだった。

*1:「現実的に考えろ」=「現状を肯定しろ」である。

*2:こうやって、普段別の話題で知ってるから、そう思わないかもしれないけど、例えば、突然行政の批判書いてあるビラなんか見たら、十中八九「言う方に問題が」って思うでしょう。

*3:主張の一部分に厳密には正確でない言い回しがあるとか、解釈の違いによる部分があるとか、ある立場で読んだら気分を害する(=これは今の日本社会では「配慮が足りない」と評価される)言い回しがあるとか。

*4:けど、個人的な思いを抱えた人に対して無神経ではいたくないとは思っている。