京都会館再整備問題メモ/2012年5月版

  • 建物価値の継承の委員会を作ったが、市には元々建物価値を継承するためにプランを変更する気はなかった。
  • もちろん、プランを変更せずに対応出来るところは取り入れた。しかしプランを変更する気は全く無かった。言いたいだけ言わせて、「ご理解頂き、有難うございました」とか言い放って終わった。
  • 結果的に建物価値は継承出来るプランにはならなかった。委員の発言もそのような内容だった*1。委員会は基本設計案そのものには言及せず、「こうすれば建物価値を継承出来るよ」という文章をまとめて終わった。
  • 結局、市会なんかで言及されたときに「建物価値は委員会を作ってちゃんとやります」と答える口実に利用されただけで、この委員会の活動は、建物価値を守るのには実質関係なかった。
  • そして「建物価値を守る前提で再整備をやる」として市会を通したのに、その後それがちゃんと達成されたかチェックをして止めるプロセスが無い。何故なら、京都会館再整備は既に行うものとして通ってしまっているからだ。
  • ところで、少しでもこういうことに関わったことのある人は知ってると思うけど、こういう委員会では、基本的にイエスマンが選抜されている。裏金を回すとかその手の極端なことをやらなくとも、隣接分野で行った過去の委員会で行政に協力的な人に次回も依頼するということを重ねていくので、中立ということはなく行政寄りのバイアスがかかる。そういうメンバーであの結論というのは、よっぽどのことだと私は思いますよ。
  • 私が見るところ、揉めに揉めた共通ロビーのところなんかは、必要な機能を考えて、それを解決する手段を白紙の状態から考えたら、建物価値と機能を両立することはいくらでも出来たと思うんだけど、そういう方向には絶対進まなかった。民間なら当然そういう方向に行って双方満足な結論が出るところだけど、行政というところでは何故かそういうことにはならない。事前にこういう名目で共通ロビーというものを作るという計画が通ってしまって、それをそのまま通したということが行政マンとしての実績になるからではないかと想像しているのですが、実際のところは分かりません。なんか知らないけど、自分の生きている民間のビジネスとは違う論理で動いてるのだなあと思うばかりです。なんか知らんが、要求も制約もコスト面も、みんなパスしてハッピーという結論は志向されない。知らんところで勝手に計画が決まって、後は、色んな口実を使いながら邪魔者を排除して行って強引にそれが実行されるだけです。
  • それを言い出したら、今の京都という場所でオペラをやろうということでも音楽ホールを作ろうということでも、もっと現実的で様々な要求を満足させてコストも安い解決法は、いくらでも考えられたと思うんですけどね。じっくり考える会の声明では、それを訴えていたのですが。
  • さて、その「知らんところで勝手に計画が決まって」の部分なんですが、これは、再整備基本計画で、勝手に「世界水準のオペラやバレエが上演可能」という設定をして舞台高さを高く設定し、その高さを確保するためには第一ホールの建替が必要という結論を出している点ですね。そして、この部分そのものが建物価値の継承ということでは決定的なのですが、委員会が発足するに当たって、この点に立ち入らないということをよほど強く約束されられたのか、この部分に立ち入った議論には(お一人くらい試みられた委員がいましたけども)なりませんでした。
  • あの舞台高さの話も酷い話でねえ。舞台高さだけあって袖も満足にないという。勉強不足なんですけどね。オペラについては批判が噴出したので、最近は、市はオペラというのは否定していて、「オペラ云々言う人は誤解に基づいて発言している」みたいな調子です。だって、基本計画にもパブリックコメントの文書にも書いてあるのにね。しかも、こんな文書まで出してるのに。「ミラノ・スカラ座、英国ロイヤルオペラ、フィレンツェ歌劇場、メトロポリタンオペラ、ベルリン歌劇場、パリ・オペラ座及びウィーン国立歌劇場など」ですってよ。その後に「オペラは誤解です」って言われてもね。結局その場で適当なことを言って、嘘も百回言えば通るで通ってしまうからこうなるのでしょう。
  • 一部に「スポンサーが要求しているんだから仕方無いじゃないか」という声も聞こえますが、その後の活動で、ロームの側の要求ではないことが分かってきました。おそらく、市の側に「世界水準のオペラやバレエ」と計画に書くことで、岡崎地域全体の富裕層呼び込み計画として国に申請して助成金をもらうためのストーリー(実態とは別に、文書で読んだときに聞こえが良いことが求められる)としたい動機があるのでしょう。
  • また、解体・新築にしておけば工事の全体予算が大きく出来るし、後々で徐々に増やせるという計算もあると思います。地下鉄のときと同様に、後でどんどん増額があると思います。実際に、この春で既に小幅な増額*2が見られます。増額の見込みについては、こちらも参考にして下さい。http://d.hatena.ne.jp/starboard/20120301
  • ここでまた変な話なのが、京都市財政再建一歩手前と言われるくらい酷い赤字自治体なのですが、それなのに大きな工事をしたがるという。これにはカラクリがあって、国の交付金が、自己資金を半分用意すれば残り半分を申請出来るという制度になっているんです。ですから、百億円で計画して、企業から半分引き出して、残り半分を国にもらうことにすれば、持ち出しがなくても計画としては成立してしまうわけです。市会の正式な答弁には出てきませんが、非公式な場ではこう言って与党議員を説得したと思います。
  • で、その交付金ですが、結果が出ています。申請のさらに半分だけ、つまり25億円下りています*3。この時点で、細かいものは除いて113.5億円かかることが分かっていますから、さらにロームの負担分を引いて36億円。これが京都市の持ち出し分になります。「最低限の改修をしてもこのくらいはかかっただろうし、それで新しくなるんだから、ま、いいか」と現実派の議員が通してしまいそうな額です。後は、時間が経つにつれて小出しで増額をしていくでしょう。一旦通してしまえば後に引けなくなってしまうので、後の増額は比較的容易です。
  • また、命名権の対価を建築費として最初に使い込んでしまうことにも本当は問題があって、これ、他所のホールでは運営費に充てているものです。これを先に使ってしまいますので、今後の運営費用としては、他のホールよりも厳しくなります。命名権は二重に売ることは出来ませんので、50年間に渡って厳しい財政状況の中で運営しなければなりません。また、半導体業界は浮き沈みが激しいので、50年の途中で契約解約もあり得ます。途中で解約可能で、その場合は残り年数分を返金するという契約になってます。で、文化予算がハードにとられて、結局ソフトへの予算が削られ、儲けの出ないクラシック音楽や、収支トントンの世界でなんとか頑張っている若いアーティストや市民利用の層には一番影響があって、商業主義の大型公演にしか使えないという結果につながります。
  • 私は最近調べて驚いたのだけど、京都コンサートホールが既に、近隣のホールよりも使用料が馬鹿高いんですよ。倍以上する。正直、兵庫の方が施設が良いので高いのかと思ってました。また、自分で公演を主催しようと計算してみてよく分かりましたが、チケット代3千円以下の公演というのはホール代とチラシの印刷したら終わりというバランスなんですね。京都コンサートホールの相場だとそれも無理で持ち出しです。
    http://d.hatena.ne.jp/starboard/20120428
    で、何が言いたいかというと、またこうなるのだろうなあ、と。折角公共ホールを作っているのに、私設ホールと大して変わらない相場の使用料になってしまっていて、近隣で芸術活動する人達は厳しい状況におかれたままです。近隣の公共ホールと比べて作るときに考えてないし、単なる貸し館で箱を作ると位置付けているので、必然的にこうなると思います。市は、建てることに興味があって、出来た後は指定管理者に丸投げすればよい、安く請け負うところはなんぼでもある、としか考えていません。本当に勿体無いことです。
  • それで出来た後どうなるかですが、あの計画で、ポピュラーミュージックの公演はこれまでよりも出来る幅が増えると思います。オリコン上位のアーティストが使う機会も増えるでしょう*4。そういうことを望む人にとっては、良かったという結果になるでしょう。しかし、そういう公演が対象なら、2006年の検討委員会が結論しているように、既存の建物の改修で充分対応出来たし、その方がトータルでも安かったし、市の将来の財政にとっても、景観にとっても、文化行政全体としても良かったのです。
  • 結局、2006年の改修案と比べて何が改善されたかよく分からないのですよ、この計画は。強いて言えば、吊り物の公演をするときに裏方の人が多少楽になったかもしれません。どのくらいの頻度で役立つか分かりませんが*5。失うものに対して得るものが少な過ぎると思います。
  • 他にも悪いことがあります。こういった過程で、色んな関係者を排除して、当初の計画通りにやることだけを求めたために、基本設計案には致命的な欠点も出てきました。敷地に対して過大な要求をしているので、ホワイエや動線などに空間が避けず、非常に無茶をしているのです。今日のホールはどこも工夫を凝らしているので、かなり見劣りがするものになります。バリアフリーとしても非常にまずい計画です*6。愛知芸劇よりもホワイエが狭くなります。東京文化会館の4〜5階のような通路がメインのホワイエです。ホワイエが狭いからなんだと今は思うかもしれませんが、人間ってのは豊かな状態から貧しい状態を経験すると、それが何を意味するかよく分かります。逆ではピンと来ないのです。普段豊かな空間に慣れている層には逃げられるでしょう*7。しかも子供達が貧しい空間で育つと、貧しいことが平気になり、結果的に全体のレベルが下がってしまいます。個々の住環境は用意してあげられないので、公共建築くらいは豊かであって欲しいものです。折角先人が豊かな建築空間を作ってくれたのに、わざわざ貧しいものにすることはないでしょう。
  • はっきり言って、現状の京都会館に関係なく、単に新規の計画と見たら有り得ないプアな案です。そのうえ建築価値も台無しにしているのですから、何をしているのか分かりません。
  • この後のことですが、最近の京都市の建築物の例で言うと、非常に安っぽいスーパーに毛が生えたような建物ばかり作っているので、またそうなるだろうと思います。残念ながら、文字で読んだときに通りがよいことばかりを気にして計画していると、往々にしてそういうものが出来るのです。
  • もうちょっと実務的なことを書くつもりだったのに、本当にボヤキに終始してしまった。
  • 最後に言っとくと、行政の文句ばかり言ってますが、京都市でも「トップの肝入り」がない普通の案件は極めて真っ当に進みます。本当に「トップの肝入り」って奴が癌なのです。そして、無言の肯定や投票権の放棄という形で、市民が肯定しているからこれが繰り返されることを自覚して欲しいと思います。

*1:もちろん、こんなブログじゃなくてみんな大人だからもっと間接的な言い方だけどね。

*2:20億円以上を小幅と言うのもなんですが。

*3:ちなみに、反対文書を国土交通省に持参し、そこを経由して申請先に電話攻撃したりしましたので、これも効いたのではないかと密かに思っております。あの時点で満額はないなと思ってました。

*4:もっとも私は、そういう商業的に成り立つものは民間がやるべきであって、行政が公金を使ってやるべきではないと思ってます。

*5:念のためですが、これは、頻度がよっぽど少ないでしょう、という皮肉です。

*6:これは建物価値継承の委員会でもかなり問題になりました。

*7:もともと、計画として文章に書いたときに通りが良いこと=補助金を引き出しやすいことだけに関心があって、その計画がうまく行くかには関心がないので、それはどうでもいいのだろうとは思いますが。