これぞ平成バタフライ
なんとなくこの日の会話が頭ン中に残っていて、なんか引っ掛かっていて、今頃それに気付いたという話。
いや元ネタを観ないで勝手なこと言っててすいませんが、実際に100%それに触れちゃう前に、僅かなイメージを元にあれこれ頭ン中で戯れるのは私の趣味でして、すいませんです。
「スズキが殉死」に違和感があって、でもなんか言えてるところもあるような気がして、でもスズキの殉死は絶対違うよなーと思って引っ掛かってて、今日いきなりそれが湧いてきた。
- スズキの殉死は絶対違うよなー。
- なんで違うかというと、スズキは只の女中で、日本で殉死すべしと考えられてる層ではないからだ。
- ・・・と考えて気付いたが、殉死にも資格がいるのか。なんつー細かい国だぜジャパンは。
- それはともかく、蝶々さんは武家の娘だから殉死するならこっちだよなあ。
- でも蝶々さんには殉死する機会がないよな、ストーリー的に。
- ピンカートンが死んで、後を追うって展開があるじゃん!
- ピンカートンの死は誤報でもいいな。そんで蝶々さんが自害したところに現れて、虫の息の蝶々さんと一緒に延々デュエットすんの(お約束)←ロミジュリか。
- ついでだからヤマドリ公の設定も活かしてさ。ピンカートン戦死の報を持ってくるシャープレス。幼子を抱えたこれからの生活を心配する一同。援助と後添えを申し出るヤマドリ公。子供のことを考えて一度は承諾する蝶々さん・・・いや、違うな、蝶々さんは意思表示をしていないのにこれが本人のためだと勝手にお膳立てしてしまう周囲。
- いよいよ婚姻の朝。家の前に現われるが、現地に妻がいるため入れないで逡巡するピンカートン。ピンカートンに義を建てて自害してしまう蝶々さん。驚く周囲。そこに現れる実は生きていたピンカートン。嗚呼無念。こんな感じか。
- 正直、オリジナルだと日本人的にはどうして蝶々さんが自害するのかイマイチぴんと来ないんだよね。もちろんあれがグローバルなオペラティックなキャラクターとして、ということなら分かるんだけど、古典的な日本女性らしい思考かというと、ちょっと違う。他の男に身を任せることになって、どうしようもなくなって、ということだと分かる。死の動機が、自分の恋が破れたとか絶望したとかそういう個人的な事柄だと日本的にはピンと来なくて、義を立てて、とかになるとありそうな気がする*1。
- うーん。でもそれじゃ、逆に、普遍になってしまうかな。ルチアとかもそうだしな。いやそうなって相手の男を殺して出てくるのが西欧で、静かに自害してしまうのが日本か。
- 上のストーリーは結構日本らしいと思ったのだけどな。どこかな。善意の空回りが当事者を追い詰めるのがとても日本的で、ちゃんと言えば良いのに、それをしないで一足飛びに自害ってのがまた日本的だと思うんだけど。音楽もそのまま使えそうな展開だし。
- でもオリジナルが書きたかったことは分かる。(西洋人から見たら)そこで死ななくてもいいじゃないの、という状況で、何故か自ら死を選んでしまう、しかも相手を責めるでもなくそれらしい素振りも見せずに実行してしまうっていうところだよね。それはすごくよく分かる。このポイントを変えずにリライト出来たかな?