京都会館の個性/吹奏楽関係者の手紙から

京都会館吹奏楽や合唱などの広域・全国コンクールの会場として定番なのですが、再整備のため今年は使えなかったので、他会場で開催されました。その経験から、ある中学校の吹奏楽関係者の方が手紙をくださいました。

京都会館の素晴らしさを今まで気づかず、今年の吹奏楽コンクールのなかで初めて「なるほど!」と実感したことがありました。


今年の吹奏楽コンクールは、京都会館閉鎖のため、会場を北山の京都コンサートホールに移して行われました。

聴き手としてコンサートホールを利用することは今までもよくありましたが、使う側として初めてコンサートホールを利用してみると、このホールが如何に市民や児童・生徒・学生たちの多様な活動を想定していないホールであるかがよく分かりました。


困ったことが2つありました。
一つは、広場がないことです。
演奏が終わった生徒たちが、学校ごとにかたまりながら演奏の余韻をかみしめ、仲間と感想を言い合ったり、見に来てくれた友達や先輩や家族達とねぎらい合ったり、他校の生徒たちと一つの空間の中でかけがえのない時間を共有し合いました。
また、結果発表は京都会館の場合は、中庭に全員が集まり、賞の発表に歓声を上げながら一喜一憂し、最後はその場で輪になってミーティングをしてお互いの健闘を讃えあったものでした。
今年は、その両方が出来なかったのです。ホール側から禁止されました。
つまりコンサートホールにはそのような教育的な空間(人の心が通い合い高まる空間)がないのです。
また、エントランスが大変狭く、演奏が終わった学校とこれから演奏をする生徒が交錯します。スタッフの高校生たちが「先生、こんなん整理するの無理やで!どう思う?」とぼやいていました。


もう一つは、本番の演奏前に全員が楽器を持って集まれる場所がなかったことです。
京都会館では今まで当たり前のように考えてきたことですが、よくよく考えてみると、それが出来たのは、京都会館の構造が人々の活動について非常に計算された特別な構造だったからです。
京都会館では、会議棟の廊下が楽器置き場。
各会議室が音出しの場所。
第2ホールが全員そろっての音合わせの場所。
そのあと第1ホールに移動して本番。
そして中庭に集まってみんなで写真撮影をし生徒同士や応援に来た仲間たちが交流。
京都会館のそれぞれ別々の機能が、まるで回廊で結ばれるように、とても自然に有機的につながって、生徒たちのダイナミックな動きや感動や緊張を可能にしてくれていたのです。その動線は、まったく見事に合理的なのです。
つまり京都会館の「コの字型」の構造によって、すべての部分が一つの無駄もなくリンクし合い集まった人々に非常に大きな活動空間を提供してくれていたのでした。
京都コンサートホールを否定するつもりは全くありませんが、)生徒たちの活動の場としてのホールという視点に立てば、コンサートホールは遠く京都会館の足元にも及ばないと言う事です。


京都会館のこうした機能は偶然の物ではなく、初めからそのような考えの下に設計されていた。つまり京都の人々の心の広場を作ろうという思いが形となったもの。そこが、京都コンサートホールとの決定的な違いなのではないでしょうか?決してデザインのためのデザインではない。活動を支える空間デザインになっているのです。


たしかにアコースティックな音響面では、京都コンサートホールは、京都会館をしのいでいます。しかし、ただそれだけなのです。(とはいえ、その音響ですら、純粋な音楽ホールとして考えれば、京都コンサートホールは大阪のシンフォニーホールに全く及ばないですね。)
京都会館の音響面の欠点は、以前からよく指摘されている問題ですが、私は本当は何とかなる単純に技術的な問題だったと思います。ただ、歴代の市長が、京都会館のために真剣に手を入れようとしなかっただけではないかと思います。彼らはおよそ文化とは縁遠い方々でした。今頃改修などと言っていることも、あくまで利権の問題であって、音楽の問題ではないですね。


京都コンサートホールが、人々の活動空間としてのホールの役割を全く意識されていないのは、設計の初めから要求されていなかった。そのため、建築物のデザインは、デザインのためのデザインでしかなく、機能的には無意味で無駄な空間や無機質で冷たい空間がやたらと多いホールですね。実際、生徒たちが話し合ったり、声を上げたりできない文化空間とは何なのでしょうね!


それに対して、京都会館の会議棟、第2ホール、第1ホール、広くて開放的な中庭。
そしてあの柱のスタイル。そしてそれらが回廊のような通路で互いにつながり合い、より大きな空間を形成している。


生徒達をはじめ、京都会館で人々が生き生きと活動し、そして自由に行き交う。
音楽を聴く。演奏する。劇を演じる。講演会を聞く。会議をする。意見をたたかわせる。歌を練習する。あるいは、三々五々中庭に集いながら、憩い安らぐひと時。
生徒たちが大きな声で語り笑い歌い・・・・、自由な広場としての機能が躍動している。
そうした人々の活動のイメージが建築物全体のつながりからはっきりと伝わってきます。
このような市民の生活と文化が多様に出会い融合することを可能にしているのが、開放的な「コの字型」の構造によって作られた空間だということでしょうね。
京都会館は、市民の「精神的な広場」として、設計段階から位置づけられて作られたまれにみる建築物だと今回の吹奏楽コンクールの中で実感しました。


そうした点では、本来、京都会館の改修は、そうした設計思想をどう大切にしていくのかという歴史的な問題のはずであり、市民の自由な文化と生活の交流の場をどう守るのかという民主主義の問題ですね。
京都の市民文化を支え続けてきた京都会館を、まるで闇から闇に葬り去るかのような現在の京都市のやり方は、京都の街の将来を見る思いです。

中学校吹奏楽部外部委嘱コーチ 萩原


戦後の貧しい時代に、市民の寄付によって建てられ、集会場として設計された京都会館の成り立ちと個性に思い至りました。

いいお話の後にこういうことを言い出して申し訳ないのですが、今は、こういう会場が無くなっているんですよね。音楽ホールというものが、完全に外から隔離されたピカピカの空間になって、お客様として行く場所になってしまっている。子供達の過ごす時間などお構い無しで、有名な演奏家とかオリコンチャート○○位以内のアーティストとかが来ることが良いことだと思っている。市民文化がないがしろにされ、大型興行公演への優遇にとって変わられてしまう。全国巡回を受け入れるためと言って、個性のない全国同じホールばかりになってしまう。

ただ、結局、素朴にそれがいいと思ってる人が多いのなら、私としてはどうしようもありません。