今日も終わらない
毎日々々、いかにも日本的な「最終結論が決まるまでオープンに出来ずにああなってこうなっての連続ばかりでどんどん雁字搦めになって、オープン出来る頃には1ミリも動かせなっている」日本的なプロセスに取り込まれて行くなあ。いつぶっちゃけトーク出来る日が来るんだろう。王様の耳はロバの耳ー!だれか京都に遊びに来ませんか。そしたらぶっちゃけトークして聞かせるから。つーか誰か聞いて!切実に。
こういうときに限って、平和なおっかけ日記ネタなどが頭に浮かんで書きたくて仕方なくなるんだよね。はあ。
デスクワークに釘付けにされつつ、仕方ないのでずいぶん昔の録音を聞きながら、生だとやっぱ評価が甘くなるよなーと思いつつ、録音と実演時の色んな違いを思い返したりしながら、やっぱり机から離れられない毎日です。何言ってんのか分かんないですね、こりゃ。メモっといていつか文章化したいネタのひとつということで。
今日から11月です。P2 Koncerten 11月版を更新してる時間がありませんが、以下のURLでチェック出来ます。
追記
ダメだ、ここまで来てムシャクシャして書きたくなった。私は技術屋だから、誤魔化しをしてると絶対それは出来たものがうまく働かないという形で返って来るし、技術屋以外の立場の人にも分かりやすく説明することが常時求められ、技術そのものを正確に伝えることは無理にしろ、それによるベネフィット・コスト・リスクが正確に伝わる程度には伝えないといけない。その習慣が体に染み付いている*1。
こういう、物事をどうやってストレートに伝えず、連想ゲームみたいなことだけ答えつつ、言い方を変えて最後までそれを言わずに済ませるか、みたいな世界は、うぎゃあああ!となるなあ。
もっと恐ろしいのが、我々の生きている世界では、それは軽蔑の対象だが、それが臆面もなく出来るばかりか、ありえないトンデモ論法を引っ張ってきて無から有を生むことが出来る奴が優秀になってしまう世界があることだ。つまり、合理的な思考に基づいて合理的な結論を出すのではなく、与えられた結論に対して、それを補強する材料をありとあらゆるものを利用して捻り出して来ることが臆面もなく出来ることが求められるということだな。
なんて、いい年をした大人が言ってると、なんてナイーブなんだと呆れられてしまいますか。そもそも、そういうのが嫌いだから理系やってるからなあ。
私なんか、いつも自分が正しいか確信がなくて、さらに、認識可能な範囲では科学的に妥当そうでも、それが結果的に善いか不安で溜まらないから*2、絶対不可能な領域ではありますわな。そう言って現実を直視しないで逃げ回っていて、そういうシステムが巡り巡って我々の故郷に何をしたのかを目の当たりにしたから、絶対に向いてないこんなことをやっているのだけど。