第3回公判の請求人陳述@京都会館解体差止 住民訴訟

第3回の公判で陳述した原稿を、そのまま公開します。提出後に誤記に気づいた部分を、取消し線を使って編集しています。

京都会館住民訴訟 最終(第3回)公判日
日時:2013年01月31日(木)午後1時30分〜午後3時
場所:京都地方裁判所203号室
平成24年(行ウ)第33号 解体工事差止請求事件


請求人陳述 西本裕美

第1回の公判でも陳述させて頂いた西本です。再び陳述させて頂きます。

私はクラシック音楽とオペラの愛好家であり、本計画がこのジャンルをターゲットとして挙げながら、あまりにもこのジャンルに対する現実認識が出来ていないことに疑問を持っております。このような計画が実行に移され、京都市の財政や舞台芸術を取り巻く現状そして将来の見込みに対してアンバランスなハードが建設され、今後それを維持しなければならない事態に追い込まれることにより、結果的に、音楽や舞台芸術のための施設でありながら、音楽や舞台芸術そのものに貢献しない、むしろ本来ならソフトに費やすべき文化予算が、ハードの維持に占拠されてしまう、そのことにより音楽を志す若い人達への育成が出来なくなり、既設の楽団や施設などが切り捨てられる、そういった事態が生じることに強い懸念を感じて、今回の請求に至りました。

このような問題は日本全国で起こっております。私は今回の請求の準備作業の中で日本のオペラの上演史を調べまして、その会場をしらみつぶしに見ていくうちに、ヨーロッパでしたら首都にしかないような立派な施設が、日本の場合は全国津々浦々至るところにあり、しかも数年に一度、あるいは施設が出来て以来たった一度しかそのスペックをフルに使う公演が行われていないことを知りました。音楽関係者からは、作ったはいいが管理が出来ていないために、残念な結果になっている施設の話を度々聞きます。日本の場合はあまりにも施設を作ることそのものに予算が配分され過ぎ、文化の育成や若い人達の教育自体に回す配分がアンバランスであるのみならず、折角作ったその施設も、維持に充分な手当てがなされないために、充分な活用が出来ていないということが起こっております。

これまで日本はこの問題を騙し騙し乗り切って来ましたが、全体の財政がこれまでのようには期待出来ない中で、既に作られたハードが劣化し、そのメンテナンスのための予算が膨大に必要なタイミングに来ております。そのような社会状況の中で、これまでと同様に、なるべく大きな施設を作ればいい、大きな工事が出来ればよい、その後のことは考えないということを、これからも続けていいのか、私が訴えたいのはそのことであります。


同時に私は、私の愛する音楽と舞台芸術が、東山の景観や文化遺産の破壊の口実に使われることに、深い悲しみと憤りを感じております。これらの文化的諸側面は、お互いに尊重されるべきであり、いかにそれらを満足させつつ機能を満たして行くかという工夫の中から、その地ならではの個性や美が生まれるのです。それこそが文化です。都会の只中にあるのと同じ規模の施設を、緑豊かな山裾の公園地帯に作ろうとする、これは暴力であります。過去の例でも、周囲にスペースが広大にある山の中や湖のほとりに作る場合でも、まず適正な規模の計画とし、地下を活用し、周囲に配慮した形で計画されております。当然のことであります。その当然のことが、そういった配慮を最も必要とする京都で、何故出来ないのか、非常に残念に思っております。


この計画が、このような問題を包含するに至ったのは、計画の過程に原因があります。京都会館の改修にあたっては、10年以上の歳月をかけて準備がなされてきました。その中で各種の専門的調査、専門家による判断がなされて来ました。それを全く覆す形で今回の計画というのは決まっております。そこに全ての原因があります。

2002年度には耐震調査が実施され、建築物躯体の劣化程度は比較的良好であり、現行法の耐震要求を満たすためには部分的な壁の補強工事をすれば対応可能であることが示されました。そのための計画も具体的に示されております。現状の壁に沿って補強するものであり、控えめで現実的な計画です。

その後、利用者や市民へのアンケート調査や施設の現況調査などを経て、2006年度には、音楽関係者や建築専門家等を構成員とする京都会館再整備検討委員会が、ここまでの調査結果・京都会館に対する現状認識・それぞれの専門とする知見などを踏まえて、第一ホールに関しては、現状の建物の外観を保存又は一部拡張する改修を行うことが適当であるとの方向性を示しております。多数の分野の専門家を交えた検討で、各種の調査や現状認識を踏まえて出した結論がこれです。後に、京都市自身も、この方向性に従った再整備構想素案を策定しております。

京都市はさらに、音楽ホールを専門とするコンサルタント会社である株式会社ライトステージに依頼して、改修計画と概算工事費の見積もりを依頼しております。ここでは、多数の音楽ホール改修の経験を有する専門家の目から見て、現状の建物を前提に舞台内高さを多目的ホールとして標準的な18メートルとする改修を行えば、「今までできなかった演出を行うことができる」、「有名プロアーティストの興行が増え、近年減ってきている第1ホール稼働率を回復させることができる」「最近できた他の多目的ホールと比べても、充分な演出ができる」と述べられています。この改修にかかる費用は、積み上げと統計による二重のチェックの結果、最大で60億円と、今回の計画のために発表されている114億円の半分に近い金額が見積られています。

しかしながら、京都市は、こういった専門家の判断の積み重ねを覆して、「世界水準の舞台芸術」すなわち大型のオペラを上演可能とするために極端に大きな舞台規模を前提として、第一ホールを解体して全く別の建物とする計画を発表しました。この決定には、なんら公的なプロセスも専門家も関与しておりません。「世界水準のオペラ」が出来るというのは市の誤った知識あるいは思い込みに基づくもので、いかなる専門家のサポートもありません。このことは最初の公判の日に述べましたので本日は繰り返しません。

この計画によって、世界水準の舞台芸術すなわち大型のオペラが出来るというのは大きな誤りであります。京都市は、この問題に対して、京都会館の建物価値継承委員会の委員であった、新国立劇場の技術部長である伊 藤 委員の発言を引用して出来ると主張して来ましたが、私は彼と個人的な面識があり、彼の名誉のためにも申さなければなりません。彼は、ミュージカルと演劇に関しては「大型」という言葉を使っていますが、大型オペラが可能とは一度も言っておりません。

通常オペラや演劇を行う多目的劇場は、舞台袖に、メイン舞台の他に、1.5面以上の面積を設けます。日本の津々浦々に様々な規模の劇場がありますが、ほぼ1.5面はクリアしております。稀に舞台全面が広くどこがメインでどこがメインなのか袖なのか区別しないフリースペースのような設計の劇場が(主に海外に)ありますが、この場合も舞台空間全体でメインと袖を合わせて2.5面に相当する空間があります。京都会館の第二ホールにも当然あります。しかるに京都会館第一ホールの建替計画、文化遺産の過半を解体し、百億円以上の工費を費やして作るこの計画には、充分な袖空間がありません。それなのに舞台内高さだけを、日本で最も大きい規模の劇場と同等とすると言うのです。このアンバランス、日本で最も高さに配慮すべき立地に、それに吊り合うだけの平面計画が不可能なのに、高さだけを最大級と合わせる、この皮肉な事態を分かって頂けますでしょうか。

たしかに、現状の京都会館は、舞台空間が奥に行くほど狭まっており、最低部が9メートルですから、50年以上前に出来たときとは違って、今の状況からすると、舞台内に高さが欲しいという意見自体は理解出来ます。ただし、これは過去の検討の中で、音楽関係の委員も入った検討委員会の中で、平面計画と釣り合う範囲内でどの程度が可能であり適正であるかという検討の中で結論が出ております。現状の建物の改修で可能な範囲内です。


また、この計画が、多数の専門家の意見を無視していることも述べたいと思います。この計画に対しては、DOCOMOMO Japan、日本建築学会、日本建築家協会京都支部、そしてICOMOS20世紀遺産に関する学術委員会から指摘が寄せられております。これだけ多くの専門家集団がこの計画に危機を感じて表明していることを京都市は重く受け止めるべきです。イコモス20世紀委員会の意見書では、同委員会が国際的リソースを使って今回の計画の精査を行い、慎重を期すために外部専門家を起用して厳格で独立した評価を行ったうえで、この計画が「文化遺産への後戻り出来ない害を及ぼす」ものであると認定しています。京都市は解体工事に着手する前に、これらの専門家集団の指摘によって、今回の計画の有害性を知る機会は充分にありました。

京都会館の建物価値継承委員会の最終提言でも、この委員会は再整備基本計画を前提として基本設計の助けとなる範囲で限定的に活動する前提で設置されながらも、その範囲を超え、基本計画そのものに対する再考を促す強い提言を述べるに至りました。

こういった専門家の意見がありながら、京都市は計画をなんら修正することなく、今日に至っております。


音楽であろうと建築であろうと、専門家の意見は一貫して変わっていません。変わったのは京都市の政治的思惑だけです。政治的思惑が、科学や合理性に基づくべき判断に優先した結果どうなったかを、私達は今、地震対策のなされなかった原子力発電所活断層の上に設置された原子力発電所の存在によって目の当たりにしました。最初の公判でも申しましたが、私は、そのような状況をこれまで自分が放置してきたことを深く反省し、公共が誤った決定を行ったときに、これを科学的・合理的判断に基づいて是正することが日本社会を健全にする第一歩であると考え、今、この場に立っております。誤った計画を止め、是正する判断をお願いいたします。