掘り出し物のアイーダ@エッセン

フィンランドの建築家アールトの劇場ということで訪れたエッセンですが、期待に違わず、劇場が良かったです。この建築家に特有の曲線を有するフォルムなのはもちろんですが、実際に中に入ると、エントランスからオーディトリウムに達するまでのアプローチがどの瞬間を切り取っても面白くて伸びやかな空間になっていて、地下のカフェと1階のホワイエが窓の外の緑の空間によって連続して見えるところとか、白い壁にレイアウトしてある縦長の窓から見える光がヨーロッパの長い夜で幕間毎に違った表情を見せていくところとか、外部空間の使い方が、さすがこのクラスの建築家の仕事だと思いました。ホワイエと比べるとオーディトリウム空間は普通でしたが、私の観たアイーダではうまいこと空間を使ってまして、こういう風に空間が生きているのを見るのはいいですね。ちなみに座席配置はこんなんです。
http://www.aalto-musiktheater.de/assets/box/640/856_1208_Aalto_sitzplan_gro.jpg

音響も実によく、実はチケットを買う時にオンラインでは売り切れで、慌ててオフィスに連絡して取ったんですが、そんときに背が低いことを申告してチビに良い席をくれと頼んだら2階正面最前列を割り当てられてしまったので心配していたのですが、ここの2階は音響的に舞台にすごく近く感じる、つまり臨場感がものすごく良い条件で、非常にファインで聞きやすく、細かなニュアンスで感じることの出来る珍しい2階正面でした*1。価格も40ユーロ台だし、この劇場に行く時は2階正面をお薦めします。


さて肝心のパフォーマンスですが、こちらも予想を大幅に裏切って良かったです!なんと言ってもアイーダを歌ったアメリカ人ソプラノのAdina Aaronが掘り出し物でした。すごく密度の濃い声を持ってて、ソプラノとしてはむしろ低く感じるのに煌きのある種類の声で、弱音の響かせ方が素晴らしく上手く、また弱音からフォルテに持っていくテンションも素ン晴らしく*2、ある特定のパターンだけでなく全体に表現が強いという理想のアイーダでした。エッセンではソリストは全く期待していなかったのですが、ここ最近のライブ・録音も含めてぶっちぎりのアイーダでした。私はアイーダには恵まれているらしく、過去3回の実演で2回も絶品のアイーダに当たっています*3。難を言えば、高音から高音の範囲内の音に下がるときにやや不安定な傾向があるかもしれませんが、それは「あとこれが」の法則*4ってもんです。

劇場のサイトに音源がありますので聴いてみてください。動画の下の "Aida: Klangbeispiel" (sound sample) から。録音だとちょっと細部が甘く感じるかもしれませんが、生では録音に入らないニュアンスがここに重なるため、全く気になりません。
http://www.aalto-musiktheater.de/wiederaufnahmen/aida.htm#multimedia
Download


さて一休みして演出。同じく劇場サイトで写真が見れます。
http://www.aalto-musiktheater.de/wiederaufnahmen/aida.htm#bilder
一応現代演出でアイーダがピンク、アムネリスが赤のドレスを着て登場するのですが、先述したアディーナ・アーロンが褐色のアメリカン・ブラックなので何もしなくても充分アイーダっぽい世界感になります。アイーダ前奏曲は私は毎回よく分からないと思いつつ聴いていたのですが、この演出ではこの部分をアイーダとアムネリスの心理劇として演出しており、はじめてここの音楽がしっくり来ました。ということから分かるように、特筆するようなコンセプトがあるタイプではないが音楽の読み込みがうまい種類の演出だと思いました。

いかにもドイツっぽいのが凱旋の場の扱いで、ここで登場するのは、戦争によって体に重大な不具を負った戦傷者達、寡婦達、父をなくした赤ん坊とその母親達(ティーンエイジャー)、戦争に奉仕する子供達といった行列がアナウンス付きで登場し、その間にキャバレー紛いの扮装の双子のニンフ、ワニ男やエレファントマンなどの昔のフリークス映画の世界の不具者達、裸のまま四つん這い歩きを強要されている(おそらく性的な罪を犯した設定であろう)女達などの入るパレードとして演出されます。最後に出て来るのが同じく裸(一部は靴だけ履いている)のアモナズロ含む捕虜達と続きます。ちなみにイチモツは無し(裸タイツに元々作ってない)でした。第一次対戦辺りのモノクロフィルムのイメージとフリークス・サーカスをミックスしたコンセプトで、演出の見せ場の凱旋の場をこういう風に処理するのは、いかにもドイツ風だと思いました。

なお、ランフィスと合唱は各階のバルコニーから歌われましたが、アールトの曲線のあるバルコニーの形がうまく使ってありました。劇場全体のあちこちから響き渡る合唱空間の中にいるのも面白い経験でした。

あと巫女が刀を振るって生贄の子供の血を絞ったりするのですが、アイーダの前でそれやっててアイーダは目を背けてたりする演技付けなのですが、巫女にこういう役割をさせるのは珍しい気がしました。歌唱自体もそれに合わせてあったのか、いつもバックミュージックみたいになる巫女の音楽が一人の人間として響いて来て(もっと言うとこのシーンは、巫女+合唱でバックミュージック的になるところを、巫女がソリストで合唱がバックミュージック的に役割を変えて届いて)、こうもなるのかあと、なかなか新鮮な印象を受けました。

他は、全体に音楽の読み込みがよく、人物の動きや場面転換は穏当ながらも自然な処理でしたが、最後の地下牢のシーンで遠近法を使って舞台を無限に続く空間に見せたのは、特に3幕から4幕への切り替わりでセットの前半分をそのまま後ろ半分だけ接続する方法で無限に続く回廊が現れる瞬間は、かなりはっとさせられました。その後のデュエットでアイーダとラダメスの位置が前後すると、遠近法のせいでアイーダがありえない大女に見えてしまったのはご愛嬌。


他キャストですが、ラダメスは悪くはなかったと思います。若々しい声で適切に歌えて、変に持ち上げたり引っ張ったりする癖もなく、少なくとも、それ未満の多いこの役としては満足しなければいけない出来だと思います。ただ、私の価値観が変なんですが、卒が無くって、盛り上がりも一定のルールで処理してるように感じてしまって、その意味でもの足りない面も。ただ、昨今のテノールというもの、特にスピントより重いテノールにおいては、こういう種類の不満が出るのは贅沢なことで、とにかく声さえ出ればよいって人選が蔓延してるなか、劇場の良心を感じました。

アムネリスは若いイタリア人メゾだそうですが、声も歌唱もイマイチだったかな。特に前半が不安定だったような。

他は、ランフィスを歌った人は、この劇場のベテランバスだそうですが、実によく響くいい声を持ってました。正確さはすごく良いわけじゃないけど。他はみなさんそれなり。

オケは実に良かったですねえ。変に主張せず、しっかり・しっとりドラマを支えていました。オケの地力自体も悪くないけど、指揮者の統制が良かったタイプの出来だと思いました。


さて、この上演で特徴的なことがひとつあって、それは、なんと、字幕がないことです!常設劇場のフルのオペラでしかも上演地の母国語でないパターンで、字幕が無かった経験って他にないのですが、少なくとも、このアイーダではありませんでした。隣に座ったおばあさまとの英語・独語混じりの不自由な会話によると、少なくともアイーダではいつも無くて、代わりに売店でリブレットを売っているそうです。この演目だけなのか、いつもそうなのか確認するのを忘れてしまいましたが、そもそもよくある電光掲示板型の字幕装置が無くて、この公演で唯一演出上字幕が出た凱旋の場では*5、下から映写するタイプの字幕が使われましたが、私はそれはその時代っぽさの演出の一環なのかと思って観てましたが、あれがこの劇場のデフォルトの字幕なのだそうで。

というように、様々な点で興味深いエッセンの劇場でした。上演の質も高かったし、劇場も音響もよいし、サイトに英語情報がないのがちょっと敷居が高いですが、オフィスでは問題なく英語が通じますので、機会があれば是非お立ち寄りを。

http://www.aalto-musiktheater.de/wiederaufnahmen/aida.htm

Aida, Oper von Giuseppe Verdi
Aalto-Musiktheater, Essen
3rd May 2013 Fri 19:30

Musikalische Leitung: Srboljub Dinic
Inszenierung: Dietrich W. Hilsdorf
Buhne/Kostume: Johannes Leiacker
Choreinstudierung: Alexander Eberle
Wiederaufnahme am 30. Marz 2013

Der Konig: Michael Haag
Amneris: Laura Brioli
Aida: Adina Aaron
Radames: Zurab Zurabishvili
Ramphis: Marcel Rosca
Amonasro: Mikael Babajanyan
Bote: Albrecht Kludszuweit
Tempelsangerin: Astrid Kropp-Menendez
Memphis Twins: Jessica De Fanti-Teoli, Raquel Lopez Ogando

Chor: Opern- und Extrachor des Aalto-Theaters
Orchester: Essener Philharmoniker

*1:一般に2階正面はその真逆の音響条件です。当サイトも長いこと音響レポを書いてないので、新しい読者のために。

*2:この「ン」に私の気持ちを感じて下さい。

*3:もう1人は日本人ソプラノ並河さんであることにも言及しておかなければなりません。http://d.hatena.ne.jp/starboard/20110305

*4:素人にも「あとこのポイントが」と挙げられるくらいならその人は相当完成型に近いという、逆説的な現象を表す法則。未満だと「良かったような良くなかったような、なんて言ったらいいのかイマイチよく分からない」的な感想になりがち。

*5:ドイツの劇場なのにシンプルなドイツ語のアナウンスには字幕が出て、イタリア語には出ない不思議。