初リングを通して聴いて/コペンハーゲン・リング音楽編(3)

音楽編の最後に、初リングを通して聴いて思ったことをつらつらと。なんでこれが音楽編なのーって感じだけど、私にとっては、これこそが音楽編なんですよ。

ジークムントとジークフリートって似たようなもんだと勝手に思い込んでいたんだけど、全然キャラ違ったんですね。冒険前のジークフリートが違うのはそうかなと思ってたんですが、最後は同じようなところに着地するのかと予想してた。最後まで全然違った。今はジークムントの方が謎だー。分かるようで分からん人だよね。ステロタイプっぽいから一瞬分かった気になるけど、よくよく聴くと分からんくなる。ジークムントの過去語りとか、前はピンと来なくて長いなあとか思って聴いてたんだけど、全然そう思わなくなった。

ジークリンデの太さ強さも意外だった。このキャラクターはかなり気に入ったので、色んな人の色んなアプローチを聴いてみたいと思った。と書いたことから分かるように、ジークリンデには守られるヒロインぽくない、癖があるアプローチを求めてます。コペハンリングのSjoergさんも強さ太さを感じさせる感じですけどね。もっと!もっと!


しかしワグナーは実に雄弁ですね。キャラクターの中で何が起こったか全部書いちゃってるもんなあ。大分くどいでしょう。ワグナーが小説家だったら、きっとすごい分厚くて怒涛の心理描写がびっしりなんだ。しかも結構自己陶酔気味の、先走り気味の・・・・やっぱりアレだな。2回目だから書かないけど。

そして、これまでネックだったワグナーをどう歌うか問題。というか、どうも旋律が不自然ぽく感じるというか、ただ旋律を辿っているだけみたいに感じる問題。そうでないパターンがあることが分かったのは収穫でした。でもこの問題はまだ謎です。オケがあんなに雄弁なのに、歌の旋律は逆に感じるのです。感情を載せまいとしてるみたいに。もちろんすごく分かりやすい大きな動きでは感情があるんだけど、でもワグナーはそうでないところでも細かい感情の動きを全部書いちゃうのが特徴なのに、歌は全然そうなってないの。なんかおかしい。このチグハグさこそが、ただ旋律を辿っているだけみたいに感じる原因でした。パーペとアナセンが偶然同じことを言っていて、多くの人はワグナーはラウド(loud)に歌うものだと思っているけど、でも違うんだって言ってるんだけど、それは関係あるんだろうな、たぶん。


ヴォータンは一番よく分かんないかもしんない。じゃあどうあったらいいのかってのも分かんない。この話、ヴォータンがしっかりしてないから駄目なんじゃね。ラインゴールドでとった行動はもうしょうがないから(それがないと物語が始まらないし)、ワルキューレでフリッカに負けてしまったところがヴォータンの一番駄目なところだ。ここ、格好悪くならないと駄目だったんだよ。それが責任というものでしょう。ダス・エンデとか格好つけてちゃ(あるいはやけくそになってちゃ)駄目だってば。それに諦めるの早過ぎ。

このシーンをちゃんとやらないとヴォータンに説得力が出ないと思うんですよ。ああそうするしかなかったのねーって思わせてくれないと。でも台本にも、他のところではやたら雄弁なオケにも、ここの説得力って描かれてない(ような気がする)。いやそういう風に演奏されたものをまだ聴いたことがないからそう思うのだろうか。難しいと思う。さあパーペが何を見せてくれるか期待しよう。


ワルキューレのことばかり書いちゃいましたね。実はワルキューレかけながら書いたから影響されたかな。でも注文はここに集中してるんだもの。他はそんな注文とか野望とか無いんですよ。ジークフリートは私にはひたすら楽しい時間だし。神々の黄昏はおおおおおーって思ってるうちに終わったし(それはコペハンマジックにかかってるって)。それに、ワルキューレだけ聴いたときには思わなかったのに、通して聴いた後で感じたことばかりなんです。今日書いたことは。