・・・とはどんなものかしら/コペンハーゲン・リング音楽編(2)

なんでコペハンリングにそこまで入れ込んだかというと、やっぱアナセンの存在が大きいと思います。私にとっては。一般的にどうかは知らないけど。彼の声も、この期間に聴き込んじゃって、最初はそれほどでもなかったのに、今はすごく反応するようになっちゃってますもん。この短期間の変化はちょっと自分でも信じられない。最初は、それこそ他の人と間違えてたりしてたのに。つまり、最初から特別だったわけじゃないんですよ、学習してこうなったんですよ。本当に不思議だーーー。

こういう存在の人が入ってると、自分の集中力が違うというか、入り込むきっかけになりますよね。きっとポジティブフィードバックがかかるんだと思う。集中する→より強く感じる→ますます聴き込む→ますます感じるようになる、この繰り返しで、そうでないときと全然違う印象になるんだと思う。こういう状態に入るか入らないかの違いは、意外と些細なことなんじゃないかな。物理的な音の違いとしては。私という容れ物に入った私にはその違いは分からないけど。人間て、なんて不思議で不便でファンタスティックなんだ。

これねー。すごく前から不思議に思っていたことがあるんですよ。私は偏りありまくりで、入り込めると心臓ばくばくでどんどんイマジネーションが湧くけど、そうでないときは全然です。みんなそうなんですか?それとも、入れたときの状態でコンスタントに味わえるのだろうか。あるいは、こんなもんじゃなくて、もっともっと味わうことが出来るのだろうか。だとしたら、なんて羨ましい。訓練してこのムラを無くしたり、もっと味わえるようになることが出来るのだろうか。あなたが聴いているものと僕が聴いているものは同じ音楽ですか?教えてください、経験豊富なご婦人方(笑)。


演奏って、私にとっては好きか嫌いかじゃないんですよ。味わえるか味わえないかなんですよ。実は、よく味わえるけど駄目な(積極的に聴きたくない)タイプの音楽ってのもあって、それがモーツァルトのある特定のタイプの音楽だったりします。すごいダイレクトに入ってくるんだけど、それゆえに不快というかなんというか・・・「そんな簡単に入ってこないでよ!」って思うんですよねー。

全然普通の音楽レビューじゃないや。タイトルは、大嘘だけど本当の話です。コペハンリングの音楽を通じて感じたことは、こういうことです。たぶん私はいつまで経っても音楽レビューっぽいものを書くようにはならないんだろうな。周辺の話を、音楽を聴くうえでのイマジネーションに役立つ話と、聴き手である自分の観察日記を書くからいいや。

僕が感じていることを
あなたがたにお話しします。
僕にとってははじめての事で、
それを理解することができません。


夜も昼も
安らぎが見出せないのです。
でも僕はこうして悩んでいるのが
好きなのです。
Voi che sapete