ワルキューレ一幕聴き比べ(3)/それで、没入度って何なのよ?

(1) (2)に続きます。まずこの没入度ってのは、聴き手としてはかなり偏った感覚の持ち主である私が入れるか否かでありまして、それぞれのディスクの音楽的な価値とは無関係であることは、言うまでもないと思いますが、最初に確認しておきたいと思います。

途中疲れて一日置いてしまいましたが、今回聴き比べしてみて、いい勉強になりました。昨日聴いた分と今日聴いた分で評価基準に差があってもいけないと思い、昨日の分を部分聴きしてから今日の分を聴いたんですが、自分の反応って思ってたより再現性ありますね。もっと振れるかと思った。

新発見は、どれを聴いても旋律を辿ってるだけ(に聴こえる)&安定して聴こえない問題に、テンポが関係している(少なくとも、テンポを変えることはその解決のひとつになり得る)ことが判明したことです。性急過ぎて叫んでるようになってしまい、しっくり来なかったんですね。演劇的ではあるんですが・・・・。

なによりも驚きだったのは、ティーレマンに全くノれなかったことです。こういうの駄目なんだ私・・・・という種類の驚きです。一方でヤングで強く高揚したこともかなり意外でした。こういう分かりやすいやり過ぎには醒めてしまうかと思っていたので。いや全く不覚!今回の聴き比べをやるまでは、私は自分のことを、分かりやすいものって興醒めしてしまって、あるかなきかのところに微かにあるものに反応するんじゃないかと思ってたんですよ。笑えるでしょう?とんだナルシストです!

しかし高揚する・しないが何で決まっているのかは自分でもよく分からなくて、無調音楽みたいなもので強く高揚することもあるし*1、いわゆる名盤がスルーなことは多々あります。どうも、みんながXY平面で語っている音楽を、Z軸で反応しているような、そんな感覚があります。なんとなく聴きかじりでXY面のことは薄らぼんやり分かるんだけど、でも自分の反応は、そことは関係ない次元で起きていて誤魔化しようがない。いや、みんな程度の差はあれそういうところがあるのかな。一々言わないだけですか?

この高揚する/しないってのと、いつも書いてるドラマを感じるか否かってのもまた違うんですよね。高揚してると集中力が上がってキャッチしやすくなる効果はありますが、本質的に違うものです。

もう一度聴きたいか否かも、また違いますしね。高揚は苦しくて日常を掻き乱される面もあって、何度も聴きたいのは、もっと心地よい音源です。あと探究心を煽る音源。そういう意味では、今回の中ではティーレマンです。あの音楽で没入度1の謎を探るために*2

こういうことを考えさせられた聴き比べ体験でした。しかしいくら一時間強とはいえ、6枚を聴いて、それぞれを比較のために聴き直しつつ、コペハンリングなんて1枚毎に間に挟んで確認して比較してたら、体力を使いました。よくこういう聴き比べ企画やってる人いますけど、すごいですね。

*1:というかこの手の音楽は、普通の調性を持った音楽より高揚する頻度が高いと思ってます。まだよく勉強していないので、そこには何かルールがあるのに気付いていないだけかもしれません。そもそも、触れる機会自体が圧倒的に違うので、頻度が高いという認識自体が錯覚である可能性もあります。しかし実験やってるんじゃなくて趣味してるだけなので、体系的に計測する気にもなれません。← じゃあ書くなよ、いい加減なことを。

*2:時間が経って記憶がリセットされた頃に覚えていたらやってみようと思います。今やると「ノれなかった記憶」が邪魔すると思うので。