魔王の謎を追え!
いつもお邪魔してるMadokakipさんのところのコメント欄をきっかけに、判明したこと考えたことについて書きます。
元ネタはこの日のエントリですね。http://d.hatena.ne.jp/starboard/20090826
こういう経緯で書いたものだったんですが、今回のきっかけで聴き直してはっきり分かりました。何故この曲にこのコメントが入っていたか。
"Opera is a very robust Art. If I am too tender on the Opera stage I am not very good, but if I am too dramatic on the concert stage I am also not very good." For a bass, concert might be the only place where he can be delicate, soft, more inner minded.
このコメントは、「私はこの曲を、デリケートにソフトに内省的に歌いました」って告白に等しい。私はその部分に反応してたんですね。だからああいう感想になったんですね。しかし、よくもまあ、あそこまで自分で書いといて気がつかなかったもんだ。
もひとつ思うことがあって、魔王で内省的っていうのが、なにかしっくり来ないというか、普通に考えてそういうアプローチになる曲じゃないですよね?もっと演じるというか、3人、語り手も入れて4人もの全く立場の全く異なるキャラクターが登場しますから、それらの演じ分けに神経が行って、それらを横断した内省というものが入る余地があまり無いんじゃないかと思うんです。わたしの感じたムズムズは、それなのにそれがあるところに原因があったと思うんです。これが、思いっきりそういうアプローチが相応しい曲であったなら、同じように歌われても、ああいう反応にはならないんです。無い筈のものがある、そこがフックになって、ムズムズする。掻き乱される。惹かれる。
胸に手をあてて思い返してみると、私がすごく好きになるものって、そういうものが多いんです。上手けりゃいいでも美しければいいでもなくて、なんかフックになるような違和感があるもの。
Madokakipさんのところに出てるエピソードもすごく面白いなと思って、有名な指揮者を迎えてのマスタークラスという場で、当然参加者はみんなよく準備して臨むであろう機会に、お経のような歌を披露してしまう、そういう人が、一転してすごくドラマティックな歌を見せる。そこが面白いと言ったら、最初からお経にならない人に悪いかもしれないし、そうでないかもしれない。やっぱりそういう極端なところがないと、そういう歌にはならないのかもしれない。
でも私は、その場にいたら、笑っちゃった側かもしれない。この歌は、全く立場の異なる極端な人物像を一人が演るところにギャップがあって、それぞれの人物を単独で観て聴いたら感心してしまうものであったとしても、それを一瞬で転換されるとやっぱり笑っちゃうんです。なんだろう、照れるんですよね。それをストレートに受け取ることに。
なんだかとりとめがないがないけど、そんなことを考えたということで。