ハーゲンのこと

ハーゲンのことを書くといいつつ、今日もオペラと全く関係ないことを書く。毎度々々このパターンばっかりのような気がするけど、でもオペラを観てハーゲンのことを考える機会が無かったら考えなかったことだから、そしてハーゲンと言えばこればっかり思いつくんだから、私にとってはこれが「ハーゲンのこと」なのだ。小論文だったら題意把握ミスとして処理されてしまいそうなかけ離れ具合だけど。でも私にとってよい創作作品というのは、その世界から離れて、後でこういうことを考えさせてくれる作品のことなのだ。そして今日の内容は、まあ青臭い綺麗事なので、読み終わった後に気分の良くない人いるだろうなーとも思う。先に謝っておきます。ごめんなさい。


私にとってハーゲンというキャラクターが表すものは「世代を超えて連鎖する憎悪」である。そして、現実の世界で、今も似たような状況に置かれ、それぞれにとっての「正当な」憎悪のために紛争の只中にいる人々のことを思う。そして、自分だったら「憎しみを断ち切る勇気」を持てたろうかと思う。この世でもっとも困難な勇気は「憎しみを断ち切る勇気」だと思う。憎しみに支配された経験が深く長いほど、それは自分のアイデンティティと一体化してしまい、断ち切ることは困難になる。憎しみを断ち切ることは、今までの自分を否定することに、今までの悲しみや苦しみを否定することになってしまうのだ。「世代を超えて連鎖する憎悪」は、そのような状況に人を置く典型的な例だろう。物心ついたときから当然の前提としてある対象に対する憎悪が存在していて、その存在のために自分の人生がずっと犠牲にされてきたとしたら?ハーゲンが2幕の冒頭で語っているように。

だから私はあまりこのキャラクターのことを、格好いいとかなんだとか、言いたくないのである。強く生きざるを得なかった者は、そう生きざるを得なかった理由を持たないで済んだのなら、そんな強さや冷静さなんか、欲しくなかった筈なのだ。

「憎しみを断ち切る勇気」は、幸運な人間の綺麗事だと思いますか?私にだって人を憎む理由がないわけじゃないんですよ。怒りや悲しみを受けた本人にはどうしようもない、断ち切ることの出来ない出来事というものが、この世の中にはあると思う。それを断ち切ってあげることが、次代にしてあげられる最も大きなことじゃないか。

ハーゲンは、私にそういうことを迫ってくるキャラクターである。