京響定期レポ6月

この日は京響定期演奏会2回目に行ってきました。しかしこの1ヶ月に3度も聴いたので、2回目というのが嘘のような親近感です。さらに新たな展開が!というわけでレポ行ってみましょー。

京都市交響楽団 第536回定期演奏会
日時:2010年6月19日(土)2:30pm
会場:京都コンサートホール・大ホール
指揮:高関健
ウェーベルン管弦楽のための5つの小品op.10
ウェーベルン:大管弦楽のための6つの小品op.6(1928年版)
マーラー交響曲第7番ホ短調「夜の歌」

結構マニアックなチャンレンジャーなプログラムだと思うのに、8-9割の入りでした。そんだけ定期を制覇してる人が多いのでしょうか。

本日は先日もどかしく遠かった3階後方バルコニーです。なんでここかというと、当日まで売れ残ってたからです。しかし前半のウェーベルンを聴いた範囲では不満はありませんでした。曲目自体が特定楽器のソロが延々と続きながら切り替わって行くという構成のためかもしれませんが。

さてそのウェーベルン。例のごとく全く予習せずに着席して、「管弦楽のための5つの小品」を聴いた途端ガバっと臨戦態勢に。本当に「あっ!」という間でなにがなんだか分からない間に終わってしまったのですが、こう言うとみなさん誇張だと思うでしょうが、だって5曲やって5分未満ですよ。こういう曲で1曲あたり1分未満なんて本当に「あっ!」という間です。しかしこれは面白いです。その後「大管弦楽のための6つの小品」までの間に延々ステージセッティングの時間があり、これがさっきの演奏より長いんじゃないかという。その間に夢中でプログラムを読みます。音色によって音楽が動く「音色旋律」だそうで、これはまさに音に執着する私向きの曲ではありませんか。というわけで、YouTubeから拾ってきて貼ってみました。YouTubeに複数あったけど、私はこれが一番好きです。
http://www.youtube.com/watch?v=4-4IUIGOsdk

続く大管弦楽のための6つの小品、こちらも似たような路線を規模を大きくしてやっている感じです(←大雑把過ぎるレポ)。今度は時間的に余裕があるので、いろいろ観察出来ます。指揮者は、悪くないけど特別じゃないかな。演奏の9割はここに入るから決して悪いわけじゃないです。そして、さすが音色旋律、今日は個々の楽器の音にいやがおうでも注意が向きます。そして何か突然啓示が来て気がついてしまいました。なんだろうこの心地よい響きの音は!私このホルンのソロの人の音が好きだ!その後はひたすら「ホルン!ホルン!」と思いながら聴いてました。あ、肝心の音色旋律を楽しむという目的がどっか行ってしまった。というところで前半終了です。

さて後半、今度は3階バルコニーのオーケストラ後方へ。マーラー開始。いきなりホルンソロからスタートです。そして、やった!この場所はホルン直撃です。ふふふふふ。やっぱいい。今日来て良かったー。この場所は京響を聴くときの私のお気に入りになってしまいそうです。人気ないエリアだし好都合です。音響は、はじまったときに一瞬違和感がありましたが、たぶん左右反転じゃなくて普段後方にある楽器群がよく聴こえることに対する違和感じゃないかと思いました。

さてマーラー7番ですが、聴き手の私が前半を引きずっているのでしょうか、そういう意図で選ばれた曲目なのでしょうか、やはり個々の楽器の音に注意が向いてしまいます。傾向は違うのにさっきの続きを聴いているみたいです。席も斜め後方からオケを見下ろす配置で、今誰が演奏しているかはっきり分かるんですよ。

第2曲の「夜の歌」2つのホルンが交互に演奏するところではセカンドとのあまりの音の違いにびっくりです。そして、なんとも可愛らしい音がすると思ったらオーボエの女性でした。クラリネットもいいですね。トランペットとトロンボーンは惜しい感じ。トランペットはたまにいいけど8割惜しい。トロンボーンは大抵惜しい。もっとも、奏者のせいじゃなくて、そもそも私がこれらの楽器の音をあんまり好きじゃないのかもしれません。ファゴットと一回り大きいやつは可もなく不可もなくな感じ。

弦は群れって感じであんまよく分からなかったのですが、バイオリンが弓を小刻みに動かしてチラチラと鳴っているとき*1なかなか可愛らしい音でいいです。蝶の群れみたい。夜の蝶か。南米の夢って感じで良くなくないですか。あとヴィオラの一番前の列に座ってる年配のおじさんは良かった。ちょっと雑味が入るような不思議で惹きつけられる音。低音弦は今日はあんまし主張せず。パーカッションはこの曲では大活躍なんですが、まだあんまし分かんない(私が)と思いました。

ここで再び指揮者について考えたわけですが、しかし広上のおっちゃんが振っているときはおっちゃんに全部持っていかれちゃうからこういう風に分析的に聴く流れには全くならないのですが、それは意識せずにそうなってるんですが、しかしそれはなんなんだろう。私の中でそういう傾向の指揮者は何人かいて、グラデーションじゃなくて明らかに不連続なんですよ。何が違うって、作り出される空間が違うというか。この世の中って基本的に4次元じゃないですか*2。で、音楽って時間に関する表現だから、そのうちt軸に対してはみんなすごく作りこむんですけど、残りの3次元についてはアバウトな感じがするんですよ。t軸を作りこんだその結果物として放置されてるような。あるいは3次元なのに2次元的だったり。で先ほど挙げた不連続な指揮者達は、ここがちゃんと見えて作りこんである気がするんですよ。めくら打ちじゃない。この感覚、あるかないかどっちかです。グラデーションじゃないんですよねえ。不思議なことに。

さてマーラーに戻って、この7番は終曲の終わり方が唐突(それで失敗作と言われている?)なんだそうですが、私は気がつきませんでした。鈍いのか、なんか他のことで気が散っていたのか。それともマーラーの思惑にちゃんとノれたのか、それなら自分に合っていたのか、それとも演奏が良かったのか。一体どれなんでしょうね。クラシック歴が浅くてこう来たら次はこうというお約束を体得していないだけだったりして。

追記/愛されてんなあ、京響

京響ネタを書くといっぱい検索経由のアクセスがあるのだが、そんだけ気にしてる人が多いってことなんだろうけど、なんだかこれだけ読む人には申し訳ない気がしてきた。あのですね、このblogは昨日クラシックを聴き始めたような素人が自分の成長記録として書いてますんで気にしないでくださいね。何にも分かってないうえに勉強する気もナッシングで、常識的な耳も持ってないし、音に関してはかなり感覚が特殊というか、人が気にならないようなポイントに固執する自閉的なズレがあるのを自覚してます。

*1:ってこれも技法として名前ついてんだろうなあ。

*2:空間の3次元+時間の1次元で、4次元で表現出来ると考えます。