リングの主役は誰か?

ワルキューレのリブレットをはじめて文章単独で自分のペースで読んだ*1。「神の意思を離れ、神の意識に背きながら、神の望むことをする英雄*2」って、ブリュンヒルデのことじゃんね。

さて表題。私は最初はリングの主役ってジークフリートだと思ってたのね。先に成立の経緯を読んで、この物語が「英雄の死」として構想されたって知っちゃってたし、なんせジークフリートがすっかり気に入ったので、ずっとその目線で見てしまったのだ。次に、ものの本を読むとヴォータンだと書いてあった。他の人の感想なんかを読んでて感じるに、なんとなくこの路線で理解している人が多いようだ。まあ実質これが定説なのだろう。そして今の私の理解はというと、主役はブリュンヒルデである。

一応形式的なことをやろう。リングに4作通して登場する人物は一人もいない。最多は3回で、ヴォータン、ブリュンヒルデ、エルダ、アルベリヒである。形式上明らかな最初から最後まで通して主役という存在はいないことを一応確認しておこう。

定説のヴォータンは、ラインが序夜でなく本編ならまだともかく、本編の最後にはおらず、しかも実質ワルキューレまでで主要人物としての位置を降り、物語の中盤から後半にかけての位置付けが弱い。ヴォータンが主役というのは、レトリックとして言うのならともかく通常の意味では主役とは言えないだろう。

次にジークフリートである。誰もこの人が主役なんて言っていないのでそもそも言及不要と思うが、一応最初に選択肢として挙げたのでやっておこう*3。これまたあちこちで見聞した内容を勝手に要約すると「常識の通用しない怪物・・・・英雄ってそういうもんなのかな?」みたいに思われているみたいだ。しかしこのキャラクターは私に言わせるとすごく単純で、我々がかつて皆そうであったところの子供なのだ。おそれと疑いを知らぬ子供がたまたま強かった、そういう存在である。おとぎ話のキャラクターとしては主役を張れるだろうが、大人向けの物語としては考えにくいだろう。彼は共感を呼べる人間ではない。形式的にも中盤に出てきて結末の時点ではいないという、そういう存在である。

最後にブリュンヒルデである。序夜こそいないものの*4、本編の最初から最後までいて、この長い物語に決着を付ける、形式上はこれ以外にないというキャラクターである。素直に読めばこの人が主役らしそうである*5ブリュンヒルデに対しては、物語全体を通して筋の通った、実に劇的な展開が与えられているのである。ブリュンヒルデを中心に見たこの物語のあらすじはこうである。

  • 彼女の父親はかつてあることを為し、その罪は将来の大きな危機の源となった。
  • 母親は危機を予知して、父親に助言をした人物である。
  • 彼女は、父親の元で、その危機の対策のための活動をしていた。
  • その危機のために「神の意思を離れ、神の意識に背きながらも、神の望むことをする英雄」が待望されていることが明らかにされる。
  • その活動の一環として出会った男に深い感銘を受けて、彼女は父親に背き、その男を救おうとするが、父親の介入にあい失敗する。しかし男の子供の命を救う。
  • 彼女がしたことは、父親自身もそれを望んでいたが、父親本人は自身のしがらみ*6のため選べなかった選択肢であった。ここで「神の意思を離れ、神の意識に背きながらも、神の望むことをする英雄」が誰か示唆される。
  • 父親は自身の手で自身のしがらみに基づく義務を達成し、彼女を罰するが、心の底では許しているので、罰にあたって彼女の「願い」を聞き入れる。
  • 彼女が救った子供が成長する。子供は「神の意思を知らずに、神の意識とは無関係に、神の望むことを(半分だけ)する」。
  • 子供が彼女の元に到達し、彼女と結ばれる。その際、彼女の「願い」は彼(子供)と結ばれるためになされたことが明らかにされる。
  • 彼女の夫(子供から昇格)が冒険旅行に旅立つ。策略に嵌められる。策略の動機は彼女の父親の過去の行動への復讐であった。
  • 彼女にはこの策略を奪回して夫を救うチャンスが与えられるが、彼女自身の選択によりそのチャンスを逃してしまう。(なお、同様のチャンスは夫本人にも与えられるが、彼もそのチャンスを逃がしてしまう。)
  • 彼女と夫は、お互いに相手を陥れることになり、夫が死んだ後でそれが策略によるものであったことが明らかになる。
  • 彼女は全てを覚り、受け入れ、全ての源となった父親の行為を償って当初の状態に戻す。「神の望むこと」が完結する。
  • 結果的に、父親の望んだ「神の意思を離れ、神の意識に背きながら、神の望むことをする英雄」は、彼が目論み求めたウォルズングの息子ではなく、早くから彼の近くにいた娘であった。より正確には共同作業である。どちらも一人では出来なかった。

予想外に長かったな。こうやって書き出してみるとよく出来てると思うんだけど、触れた人がみんな誤解しちゃったのは、やっぱし構想はよかったけど台本がうまくなかったんでしょうね。こう思ってからテキスト読むと、色んなことが腑に落ちるというか、それまで意味を成さなかったテキストの至るところに意味が見出せるし、ワルトラウテの語りの場なんて何故設けられたかよく分かるでしょう。誰かためしに他のキャラクターで全体を通して同じような説得力のあるあらすじが書けるかやってみてください*7

では何故そう理解をされていないのかというと、そこには複数の誤解があるからだろう。最大の誤算はジークフリートの位置付けが全然理解されなかったことか。この話は、ヴォータンが出てきたらヴォータンに注意が向き、ジークフリートが出てきたらジークフリートを見て・・・・という具合に振り回されてると、なにか最後よく分からなくなっちゃうところがあるんですよね。

こんだけ長いこと誤解されてたのは、ラインの黄金に原作者がちょっとだけ込めた寓話に、後世の人が予定外に嵌ってしまったからだろう。だから奥が深い症候群には気をつけろと小一時間・・・・まあそれはともかく。あれは序夜なんだって。そして、社会があって、それを背景にした生きた人間のドラマが始まるのだ。いつの世も。逆じゃない。

ついでにヴォータンとは何かだけど、まあ運命に振り回される一人でしょうね。んで、既成の権威とか権力とか制度とか契約とか、そういう父性的なもんの象徴でもあり、自らの拠って立つものによって自らが縛られているあたりは、結構リアルなんじゃないすかね。あんましヴォータンという存在に万能さを見ない方がいいと思う。最後に彼はさも将来のことが分かってるかのように立ち回るけど、その後の展開は彼が真に望んだとも思えなくて、結局操ってるようで操ってない。私には、最後のヴォータンの振る舞いってのは、作者の情け、願望、理想*8であるように思える。

しかしヴォータン主役説も、特に長いしがらみがあって、簡単には捨てにくいだろう。そんなあなたのために私は折衷案を用意しておいた。それは、リングの主役は、世代交代と共に移り変わる「○○家の人々」形式であるという回答である*9

ところでこんな話って、当たり前過ぎて、数十年前に完結してて、みんな飽き飽きしてて、だから今更誰も触れないだけなんじゃないかという気がしてならないのだが、そんな話を今更書いちゃ野暮でしたかね?

言い訳

これは後で見直そうと思って書いて半月くらい寝かせておいた文章ですが、上海に行く前に投稿しないと永久お蔵入りしちゃいそうなので、ちょっと問題があるかなと思いつつそのまま放出してみました。

*1:これまで、DVDの字幕やCDのリブレットで、音楽のスピードで読んだことしかなかった。外国語なので読むの遅いし、細かいところで立ち止まって考える時間をとったことがなかった。

*2:とこう書きながら、この表現の出典が分かりません。先日のNHKの字幕かな。記録してないので分かる人いたら教えてね。ワルキューレの2幕2場のヴォータンのブリュンヒルデに対する語りの短縮版としてはまあ適切なんじゃないかと思う。

*3:これでも私はジークフリートのファンである。

*4:つーか主役がいないから序夜なのだろう。

*5:しかし、そう読めない何かがこの物語にはあることには同意せざるを得ない。

*6:夫婦喧嘩のことじゃないよ。ヴォータンの拠って立つ源が契約であり、契約を元に構成された論理には反することが出来ないということだ。

*7:無理だと思いますが。特に黄昏の展開がとってつけたものになってしまうでしょう。

*8:それまで存在していた権力がどのように幕引きするかと言う理想であり、そうあって欲しいという願望。

*9:ところでこの「○○家の人々」形式って文学上の名前付いてないですか?いかにもありそうだが思いつかなかった。