甘えることを知らなかった小さな男の子

やばいな。トリスタンのイメージが急速に固まりつつある。しかも例のごとく偏りまくった方向に。どうせこんなことを言ってるのは私だけだろう。いや、海の向うの小国にもいるか、こういう甘酸っぱいことを考えそうな人達が。

トリスタンは両親を知らずに育った。しかもよいお家の子だったので、周囲の大人達の複雑な思惑に囲まれ、大人達の期待を満たすことで自分の居場所を確保していた。子供らしい子供時代を過ごさずに、甘えること、感情を解放すること、さらには、感情を小出しにして、ときには失敗しながら、他の人間とのコンフリクトを通して、他人の意志を尊重しながら自分の意志を通すやり方をを学ばなかった。彼はただ期待に応えて生きるという選択肢しか知らなかったのだ。

ゾルデが剣を取り落としたのは、彼の瞳に、そういう風に生きてきた人間の寂しさと悲しさを見つけたからだ。恋情(だけ)ではない。彼は恋をした。でもどうしていいか知らなかった。どうかしていいものだという発想も無かった。ただ切なくて寂しくて悲しいのだ。彼は彼がある「べき」ように生きることしか知らない。そうすべきだからするという選択肢しか持たない。イゾルデは魔女の一族だから、そういうことには聡い。意識しなくても感じとってしまうのだ。

ゾルデは感応し、引き出す魔女だ。日本風に言うと「サトリ」なのだ。自分の触れたものにドキドキしている。彼女は感じることを止められない。彼女の意思に関係なく、トリスタンの心は流れ込んで来る*1

彼は他の生き方を知らない。でも彼の中には封印している意思がある。それは夜への憧憬となって、両親への思慕と結びつきながら育っていく。暗い情念の世界。彼は予感し、おそれる。自分の中で育った「これ」が、いつか制御しきれなくなって、自分の守ってきたものを壊してしまうのではないかと。

しかし、それが解放される日はあっけなくやって来る。魔女の酒によって簡単に乗り超えてしまう。誰も傷つけることなく(その時点では)。


ここで調子を変えて、実践的な話を。この話ね、二人が最初に会ったときに(この物語がはじまる前に)、トリスタンが望んでその気で行動すれば、家格だって超絶かけ離れてるわけでもなし(マルケに子が無くてトリスタンが継ぐなら、むしろ相当だろう)、年齢だって釣り合うし、戦略結婚的な視点からも歓迎されるだろうし、イゾルデだってそれを望むだろうし、何も問題はないわけですよ。それを出来なかったところが変なんです*2。本当にトリスタンがダメダメなんですよ。普通に考えたら丸く収まりそうなことをしなかった挙げ句に、その後も、せっかく解放されたのに自殺しちゃって、イゾルデも巻き込んじゃって*3、ついでにクルナヴェールやらメロートやら名無しの兵やらも巻き込んじゃって、全く大迷惑野郎です。それもこれも、ちゃんと甘えてないから、ちゃんと反抗期をこなしてないからなんですよ!イマドキの言葉で言うと、アダルト・チルドレンて奴です。そんだけなんです。

だって彼の周囲は理解あるでしょ。マルケはもちろん、クルナヴェールだって、領地の牧童だって*4仲間達だっているし*5。きっと本気で頼んだら親身に考えてくれたと思うよ。大体、マルケと来たら、浮気の真相がバレた感想が「トリスタンが裏切っていなかったことが分かって嬉しい」なんて人なんだから。みんなトリスタン達の幸せを願ってる。イゾルデみたいにツーカーじゃないけど、彼らの良識の範囲内で願ってる。なのに行き違うから悲劇なんだけどね。

というわけで「反抗期は大切だネ!」というお話でした。

*1:じゃあなんで再会したときには分からなかったのかというと、そのときのトリスタンにはやるべきことが決まっていて彼の心が閉じていたから。

*2:そんなこと言ったらお話がはじまりません!

*3:ええ。私の読みは、イゾルデがトリスタンを死に巻き込んだんじゃなくて、逆ですとも。

*4:何故ここに牧童が?私、牧童好きなんです。牧童の存在には詩情を感じる。クリステンセンはもちろんいいし、バイロイト2009の牧童の人も好きだ。あの人はいい。

*5:メロートだって、トリスタンが自殺を企てなかったら、ただのどこにでもいる朴念仁の小物でしかない。