恥の上塗りのトリイゾ雑感
うー。恥ずいなあ。夜中にとち狂って書いたものって本当に恥ずいなあ。そもそもタイトルが恥ずい*1。というわけで読み返せません。めくら撃ち状態です。どんどん書いて恥ずいログを後方に流しちゃえ。
昨日どうしても「反抗期は大切だネ!」で〆たかったので*2、後回しにした続きの文章があります。本日のエントリはそれ。昨日の精神状態が出てて、一部恥ずかしくて読み返せない部分がある。恥の上塗り行ってみよう!
まずこういうことを考えるってのは、尋常な精神状態じゃなくて、やっぱりDKT公演のせいなんですよ。それが、私があそこは特別だと思う理由なんです。聴いてるとこういうイメージがどんどん湧いてきちゃうんです。彼らは本当に創造的な仕事をしていると思う。
このコンセプトで演出するとしたら、もちろん小さいトリスタンを出したり・・・・はしませんよ。そんな安直なことするわけないじゃありませんか*3。こういうバックストーリーを込めて歌い演技してもらうんです。伝わる人には伝わるし*4、伝わらない人には伝わらないでしょう。
いまや私のイゾルデのイメージも固まってしまったので、それが聴きたくて仕方無い。ドキドキして、ソワソワしているのだ。両手を胸の前で握り締め、天を仰いだり、一心に水平線を見つめたりしながら、舞台を行ったり来たりする。自分の心に流れ込んで来る、触れたことのない感情に戸惑いつつ、それを感じることを止められない。ヒステリックじゃない。絶叫はない。怒っているわけでもない。ただ戸惑い乱れた心がある。彼女は尋常じゃない行動に出るが、それは彼女が他に選択肢を持たないだけなのだ。乱れる心で、何もしないでいることが出来ないし、他にしようもないだけなのだ。
正直、迫力を待ち構えてる人にはウケないかもしれない。過去のだれそれと比べられて酷評されてしまうかもしれない。茨の道だ。ある種の天才でないと実現出来ないかもしれない。でももう思いついてしまった。私はきっとずっとこの先待つだろう。実はこれ、日本人に向いてない?どんなもんだろ?でも茨の道だから薦められないよね。
ところで私、変なのかもしれないですが*5、トリスタンの死に方は幸せな死に方だなあと思ってしまうんですよ。これは、趣味で山に登って遭難して死ぬことを幸せだと思うか否かに通じるものがあるかもしれない。あるいは、趣味でヨットで大洋に出てそのまま帰って来なかったと聞いて幸せと感じるか否か*6。解放されて、自分を貫いて、愛する人の絶対の信頼を感じながら死んで、これ以上何を望むのかと思っちゃうんですよ。正直私だったら、本当に後追いはしてくれなくていいけど。自分が死ぬときに後を追いそうな顔を見せてくれて、一年も経ったらケロっと忘れて生きてて欲しいなあ。
しかしジークフリートもそうだけど、ワーグナー、少年を描くのがうまいな。うまいっつーか、うまいとかそういう問題じゃないよ!なんて絶妙なんだ!だって、こういうのは考えて描けるもんじゃない。感じてるかどうかの問題だ*7。しかし誰もそういう評価はしていないようだ。何故だー!いや、実はマンがしてる。ねちっこい音楽にチラっと入ってるんです、こういう要素が。
でもワーグナー聴いて少年を感じてしまうのは、たぶんあの人が原因だね。
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