トリスタンとイゾルデ@DKT/詳細版(4)

DKTトリイゾレポの続きです。(1) (2) (3) はこちら。しかし私は何回連載やってんでしょーね。あともう1回か2回で完結する予定です。

2幕かあ。2幕はなんにも覚えてない。ずっと鎖骨の下あたりで手を握り締めてた。だって痛いんだもの。もうどう考えても本当に物理的に痛いんだもの。本当にそれだけだった。アナセンがコペハンジークフリートの3幕で眠るブリュンヒルデを前に一人芝居をするときに、まさに「ここ」を押えてたのを思い出して、ああこういうときは本当に「ここ」が痛くなるのだなあと思って、これまでの人生で知らなかったリアリティをひとつ獲得した。大事なことはみんなオペラに教わった、とか言ってみるテスト。

事前に放送で聴いてて、2幕は一番指揮に不満があるところで、夜の森のざわめきがなんかバラバラでひとつひとつのパートの音が立ち過ぎて聴こえてて、なんというかネットワークになってないし、歌手がすごく歌いにくそうで、プロモ映像でピックアップされていた "Wie lange fern! Wie fern so lang!" ""Wie weit so nah! So nah wie weit!" から "Das Licht! Das Licht!" の前後なんて一体どうなってんのってくらい2人とも歌いにくそうで・・・・ええ、でもまたこのパターンですが、それがライブで聴いてどうだったか全然認識出来ませんでした。改善されたのかもしんないし、ライブで聴いたらそんなこと無かったのかもしれないし、歌いにくそうにしてたらしてたで、それが全て胸の痛みに転換されてしまったのかもしれないです。主観的に聴くって、こういうことなんだ。やっぱり大事なことはみんなオペラに(以下略)。

でも、"O, nun waren wir Nacht-Geweihte!" からは一転してリズミカルになり、リラックスしていきます。ここ好きなんですよ。トリスタンが Sehnen(憧れ)に触れるところです。私にとってこのキャラクターに充てる言葉をひとつ選ぶとしたら Sehnen なんです。


そうそう、演出は2幕はごくオーソドックスです。最初に言った通り、セットも衣装もずっと変わらず、ただここからトリスタンとイゾルデはそれぞれ緑と紫のローブを羽織ってる。イゾルデが消すのはこの白いタイル張りの外階段のある風景に設けられた巨大な蛍光灯で、そこからはこの「明る過ぎる白い世界(=昼)*1」から一転してライティングが活躍する色彩に満ちた世界*2が展開して、その色はトリスタンのローブの色であるグリーンとイゾルデのローブの色である紫が基調になってる。このライティングも場面々々に合わせて効果的に使われていたと思いますが、たぶん言葉の意味に合わせて考えてあったりして奥が深い症候群的には色々発見があったんじゃないかと思いますが、鑑賞中にそんなことを考えたくない私にとって大切なことはこれだけです。「音楽を読んであって、全く違和感がない」こう思わせるのが一番じゃないでしょうか。

トリスタンは毎回必ず同じところから登場して、1幕と同じ2階の階段から、立ち止まっては歌いながら近づいて来て、セットの階段は、2人が近づいては止まり、徐々に距離を詰めて行くのに効果的に使われます。そっからセットの中央右寄りにある巨大な丸い穴の開いた柱みたいなのに寄りかかって二重唱が歌われます。この柱が私の目の前ドンピシャなのは、前に書いた通りです。


一幕と二幕のトリスタン登場以前はピンと来なかったヨハンソン・イゾルデですが、二重唱は良かったと思います。こういう風に支えるのは結構いいんじゃないでしょうか。声も歌唱の安定度も。この調子でやってくれればいいのに。決め音をビシビシ決めるとかしなくていいし。なにかワンマンショーぽくてさ。でもそっちを気に入る人がいっぱいいるので、私がなんか言うことじゃないんだけど。でもそういうの、なんかワグナーには合わないと思うんですがね。ドラマがブチブチ切れちゃうじゃないですか。

ショーベルさんのブランゲーネは、必ずしもここまではものすごく感心したわけじゃなかったけど*3、ここの2回ある警告の歌は、どちらもとても良かったと思いました。透明感があって、なんか戸惑ってる人間ぽい感情が伝わってきました。


この後が2幕で一番書きたかったことで、トリスタンが愛の死のメロディーで歌い出す "So sturben wir, um ungetrennt,"のことです。これまで度々書いてきましたが、私は、愛の死を、アリアと伴奏ではなく、歌声がオーケストラに完璧に溶け合った響きとして聴きたいという願望があって、ところがそれ、この日、思いもかけないところで満たされてしまったのです。このレポは基本的に二日間の記憶を使いながらも一日目を基本にして書いているのですが、ここだけは最終日の記憶です。"So sturben wir, um ungetrennt,"が、完全にオーケストラに溶け合ったハーモニーとして聴こえてきたのです。

いやあ、不意打ちです。またやられてしまいました。こんなことってあるんですね。だから「あなたのソプラノバージョンが欲しい」なんです。このことばかりでなく、私のとても一般的とはいえない特殊な願望を先取りして達成してくれているのがアナセンで、そんな相性の人が他にもいたらそりゃいいと思うけど、そういう意味でも「あなたのソプラノバージョンが欲しい」だけど、しかし、イゾルデに求めていたことをトリスタンに達成されてしまっては、なんか、開いた口が塞がらなくないですか?(言葉の使い方が変です!)

これ、録音ではヴォーカルが立って聴こえててこうだとは思わなかったんです。録音ってどうしてもそうなる傾向がありますよね。それに、一日目もこうだとは思わなかった。それは、一日目は心臓に来過ぎて冷静じゃなかったからかもしれないし、二日目はそれに比べて冷静に聴けたのかもしれないし、座席の関係で、二階バルコニーで聴いたからそう聴こえたのかもしれないし*4、本当に最終日しかやってなかったのかもしれません。とにかくこれは、本当に不意打ちでした。


さて一番書きたいことを書いたので後はおまけみたいなもんですが、二人の陶酔が最高潮に達したところで、背後に白シャツ黒チョッキを来た普通過ぎる格好のマルケ王(ただし素材がご立派なので見た目は充分王様っぽい*5)が出てきてじっと見つめてて、マルケ王だけ先にそっと舞台に出て、メロートをはじめとする一族郎党は音楽のタイミングでワラワラと出て来ます。

メロートは、録音で聴いたときはこりゃ酷いと思ったけど、ライブだとそこまで酷くは感じなかったですね。つーか録音はやっぱ粗に注目しちゃいますから。それに、このくらいの人はいくらでもいて客からはウケてたりするので、この人だけ特に言うのもなんだし。そう思わせるところがメロートっぽいと言えるのかもしんないし*6。DKTのコーラスから抜擢されてソロを歌いはじめてる人です。

ステファン・ミリンのマルケ王は、雄弁です。ライブで聴くと舌足らずも気になりません。私の知ってるマルケ王歌いの中でもかなりいいセン行ってると思います。でも、マルケ王歌いの中で比べるのではなく、ステファン・ミリンのロールの中で比べると、マルケというのは彼の個性にものすごく合っているかというと、微妙な感じはします。水準以上ではあるが、それ以上の特別に到達出来る組合せかというと、今までに触れた彼のロールの中では可能性が薄い組合せのような気がします。これはとても贅沢な話ですが。それに、私が思う特別はいつも、オペラの世界でこのロールはこんな声でこんな風に歌われるべきという模範的なポイントを外したところに存在するので、そして、それは偶然じゃなくて必然なので、そういう理由で、私に特別認定されないのは歓迎すべきことかもしれません。

今回ライブで聴く彼は、最初にリングで触れたときの印象通り、初聴きで分かりやすいような方向に良い、というものでした。

最後のトリスタンがメロートの剣に飛び込むシーンは、クルナヴェールが差し出した剣をとると見せかけて空剣をとり、そのままメロートの剣に向かって行くというものでした。

追記/続きはこちら → トリスタンとイゾルデ@DKT/詳細版 (5)

*1:って書いてから思いついたけど、このセット、船のようでもあり、外階段のあるアパートのようでもあり、だけどもひとつ何かに似てると思ってたのだった。それは病院だ。白いタイル張りで、不自然に隅々まで明るい消毒された世界。

*2:わざわざ言うまでもないが念のため言っとくと夜。

*3:水準以上だが「特別」ではないの意なので悪いということではない。

*4:一日目は平土間の一列目なので、ホールの中でもかなり特殊な聴こえ方になる。そういう意味では二日目の方がホール全体の印象に近いと思う。

*5:何故あなた達はそういう裏の裏をかくことをするのですか。

*6:いやでも芸がイマイチなのと好感度が低いキャラクターはまた違うと思うんだ。