トリスタンとイゾルデ@DKT/雑談編

年越しで引きずってしまったDKTトリイゾレポですが、最後に時系列レポに収まらなかった軽い話を書いて終わりにしたいと思います。これまでのレポはこちら → (1) (2) (3) (4) (5) (6)

アナセンのトリスタンですが、いつもここで言っている通り、この人は声が楽々と出ている印象を与えるタイプの歌手ではないのですが、それどころか常にstrain(=「いっぱいいっぱい」みたいなニュアンス)という評価がついてまわってるくらいなのですが*1、トリスタンというロールに限っては、その「いっぱいいっぱい」さが実に効果的だったと思います。アナセンのボーイッシュなトリスタンが、精一杯熱を込めて、いっぱいいっぱいだと、なんというかこう「ああっ!トリスタン!」と思っちゃうんですよ。この個性はちょっとすごいなーと。ジークフリート@黄昏でもそうだったけど、登場人物を好感の持てる人物にする能力にかけては、殆どマジックレベルというか、普通に分析的に還元的にロジックで考えて出てくるところとは全く別の方法でそれをやってしまうところが、本当に驚異的なポジションの人だと思います。ただこれは全て私にとっての話ですから、誰にとってもそうではないのでしょうけど。


話変わって、今回の鑑賞後にこの物語についてどう考えるようになったかというと、結局この話は、私にとっては実に身につまされる話というか、現在進行中の自分自身の課題に関連する話というか、ちょっと前のコメントにも書きましたが、愛がメインテーマではなく、「抑圧された自我の解放」がテーマになってしまいました。ええ、偏っているのは承知ですとも。

何がそう思わせるかって、トリスタンが2幕ラストで、自分一人死に向かってしまうところが私にそう思わせるのです。いくらイゾルデに確認しているとはいえ、あれは愛の成就の一部なのだとは私には思えないのです。じゃあ何なのかというと、承認の一種ですかねえ。だからイゾルデに下駄を預けて、彼女が決めないと駄目なんです。私はトリスタンは結構勝手な奴だと思っておりまして、勝手というか、解放以後の彼は、いっぱいいっぱいなんだと思ってます。

結局DKT公演というのは、自分にとって、ああこういう風に承認されたかったのだなあと、自分の無意識の願望を発見する機会になってしまいました。そこで受け取ったものが舞台を作った側の意図だったのかは謎ですけど、というかコペンハーゲン解釈を聞く限り違ったような気もしますけど、でもそんな風に揺さぶられて発見するのは悪くない体験でした。

一方イゾルデは分からないですね。私は思えば思うほど隠してしまう人間ですから*2、ああいう行動に出れるってこと自体がよく分からないです。「そわそわイゾルデ」とか言ってますけど、それも、こういう場面では、動揺のあまりよく分からない行動をとってしまったと思った方が自分にとってリアリティがあるからなんです。一方で、他人の心情に感応してしまうのは、「分かる」のではなく「感じて」しまうのは、すごくリアリティがあります。


あと書いておきたいと思ったことは、なんだったっけ。ああクルナヴェールのラングレンだ。この人、レポではあんましみたいなことを書きましたが、後で他の人のクルナヴェール各種(録音)を聴いて大いに見直した人でありまして、元々DKTのナブッコの放送を聴いたときには結構気に入っていたのですが、なんせ今回はアナセンと変わりばんこに出てくるので、どうしても平凡に感じてしまったところがあります。このことは書いておこうと思いました。

それから私のレポってのはものすごく偏っておりまして、例えば日本の公演でも一番大きな拍手を受けた歌手にNGを出すということが結構あるので、だからこのレポは真に受け過ぎない方がいいですよ。求めるものが違い過ぎますから。どっちかというと、このレポで微妙な評価をされた歌手ほど日本ではウケると思って頂いた方が当たってるくらいかと思います。

そうそう、最後にイゾルデを囲んで主だった歌手がみんな彼女の方を向いて並ぶのですが、つまり客席からはサイドアングルがずらっと並ぶのですが、この風景がおかしくておかしくて、DKTの歌手はみんな背が高くて足も長いので全身で見てるとあんま目立たないのですが、お腹はみんな揃って「ポコン」でありまして、正面から見てると全然そうは思わないし*3、動きの一環でサイドのアングルを一瞬見てもそんな印象にはならないのですが、最後に並んだときはみんな揃ってポコンなので、もうおかしくておかしくて。マルケもポコン、クルナヴェールもポコン、メロートもポコン、クリステンセンは今は大丈夫*4だけど絶対予備軍だねって分厚い体型で、ただ舵手の人だけが異様に細い。ひょろひょろと細い。君達の辞書には程々という言葉は無いのか。目の前に並んだポコンに泣き笑いみたいなラストになりました。でも幸せな後味でした。

DKTトリイゾレポはこれにて完結です。あとはマダムバタフライとルルを書きたいと思います。

*1:にも関わらず表現力込みだと声に力がものすごくあって熱があって存在感が驚異的なので、表現にノれると、声に対する批判がなんで出てるのか分かんないくらいです。あえてそれをマスクして聞かないと何を言われてるのか本気で分からないんですよ。逆に向うにとってはこっちが分かんないんだと思いますが。

*2:とか書くと画面の向うで笑われているような気もしますが。自己認識と他己認識はかくも違うのだと笑ってください。

*3:それの一番極端な例がアナセンであって、正面とサイドでは同じ物体だと信じられない程である。だからこの人の正面の写真を見て全身を想像してはいけない。

*4:服の上からもポコンが分かるようなポコンではない