京響1月定期

今日は久々に京響サウンドを堪能しました。座席は来年度の座席戦略を意識して確保した3階のオケの真上辺りで、やっぱりここの音は好きですねえ。P席ほどの迫力はありませんが、解像度が高く響きが明るく柔らかくて好きです。

今日は、そうですね、ピアノは相変わらず苦手なので(といっても決して奏者が悪いわけではなく、大抵誰で聴いても苦手なので、自分とこの楽器の相性が悪いか、私が聴き方が分かっていないだけなのですが)前半のピアノ協奏曲はちょっと引き気味に、集中し過ぎないように、視覚的にも天井を見上げてBGM的に聴いていました。でも今日はこの時点で、やっぱこのサウンドだよなーって手ごたえは充分ありました。ただ、沼尻氏の個性なのでしょうか、彼の指揮を聴くのは2回目なのですが、ああやっぱり同じ人だなーって感じで、聴いてる間は結構ちゃんと組み立てられていて気持ち良いのですが、なにかさらさらとしていて、終わってみると残っていないという現象が今日も再発してしまいました(私にとっては)。この時点では、耳を半分マスクして聴いてるから仕方無いと思ったのですが。

後半のファウスト交響曲に入って、やっと耳が臨戦体勢です。今日はファゴットに目覚めました。クラリネットファゴット、ホルンとファゴットの組合せで支えるところがいっぱいあるのですが、そこが良かったですねえ。特に第1楽章の前半のこの組合せは良かった。第2楽章の入りのフルートソロも、本当に天から降ってくるようで。いつも頑張っているオーボエのキラキラバレットのおねーちゃん(と私が勝手に呼んでいる)も今日も良かった。バイオリンソロなんかも、個々の音は、本当に良かった。最後の合唱も独唱も、自分のいた場所が良かったのもあるのでしょうが*1、なにか特別な感じ、揺さぶられるような感じがあった。

ただ、ただですよ、これは全く個人的な話になるのですが、私はこのコンサート来る直前にちょっと思い出したくない出来事がありまして、なんとなくそれが念頭に引っ掛かっていたのですが、最後の合唱のところで感情が揺さぶられてそれがバーっとフラッシュバックしてしまったんですよ。これには参りました。本当に個人的な話で奏者は関係なくて申し訳ないんですけど。でも、なんだろ、ああこういうもんなんだなーと思いました。別に音楽が嫌な風に作用したわけじゃなくて、たぶん蓋をしておいた感情が揺さぶられて出てしまったのでしょうね。こういうタイミングで聴いちゃったので、フェアな評価になってないかもしれません。

こんな感じで、聴いてる間は結構いろいろな発見があって、いい音を引き出していたし、最後はかなり揺さぶられた今日の演奏だったのですが、何故か終わってみると、最後の合唱のインパクトはともかく、その前段の演奏は何故か後に残らなかったのです。で、二曲ともそういう意味では似た印象になってしまったし、前にびわ湖で聴いた感じが再発したなーと思いつつ、あのときよりサウンドそのものがずっと好みで自分の集中度はずっと上だったにも関わらずこういう聴後感になってしまうなんて、こんなこともあるんだなあと首を捻りながら帰路に着きました*2

2011年1月21日(金) 7:00pm
京都市交響楽団第542回定期演奏会
京都コンサートホール・大ホール
リスト:ピアノ協奏曲第1番変ホ長調
リスト:ファウスト交響曲
沼尻 竜典(指揮)
児玉 麻里(ピアノ)
びわ湖ホール声楽アンサンブル
テノール独唱:二塚 直紀(びわ湖ホール声楽アンサンブル)

*1:今日はオケの背後に独唱と合唱が並んで立っていたので、オケ横で聴くと後ろで聴くより引き立っていたと思います。

*2:経験数が少なくて、このパターンをあまり経験してないだけで、最中に感じたものと後の印象が比例していないのは、よくあることなのかもしれません。よく思い出してみたら逆パターンは結構ありますもんね。遅効性のトリイゾとか。