私と新しい音楽の出会い方@声楽編

私と新しい演目(曲目)との付き合い方って、こんな感じ。

  1. 新しい演目(曲目)に手を出そうと思う or 予習などのために聴く必要に駆られる。
  2. いくつか音源を揃える*1
  3. (私にとっての)粗が気になって最後まで聞き通せない。or (私にとっての)決定的に気になる瞬間が来るたびに「え゛ーーー?」「え゛ぇぇぇっっっ?」と突っ込みながら聞く。
  4. 別の音源を捜しつつ、上記の私にとっては耐えられない音源や歌手の評価が高いことなどに心底驚きつつ、次の音源を捜す。
  5. 次々と新しい音源に手を出す。「え゛ーーー?」を繰り返す。
  6. なんとか聴けるものが見つかる。
  7. 繰り返し聴く。この時点でblogにメモったりするが、何故か「なんとか聴ける音源」の「たまにある欠点」を強調してしまうダメダメ紹介者である。
  8. 馴染んだ頃に別の音源を聞く機会がある or 実演に接する。
  9. 「ごめんよ○○○!(←なんとか聴ける音源)今まで君のことを△△△(←たまにある欠点)とか言ってて済まなかった!この人に比べれば(以下略)」
  10. 何回やったら学習すんねん。

ところでさらに不思議なのは、あんまこういう(何を聴いても耐えられないと思ってしまって、不満を持つ)人っていないらしいのね。そこが気になる人はすぐオペラや声楽から撤退しちゃうってことかもしれないけど。私もこんなに不満ばっかなのに、なんで聴いてるのか不思議だ。実はみんなそうだが、言わないだけなのか?タイトルに声楽編とあるのは、別にこの後に器楽編を書くわけではなく、特に声楽でこの「どれを聴いても不満」状態が起きるからです。楽器としての正確さ(を実現する困難さと、正確な状態が実現出来る頻度)が違ってて、そこが気になるんかなあ。

ちなみにこうやって見つけた「なんとか聴ける音源」は、意外とマイナーなものであることが多い(少なくとも、一番に名前が挙がるようなものではない)。そっちは、分かりやすい極端さがダメとか、人にとって魅力となり得る要素が自分にとっては「過剰」になってしまうってことかなあ。一般に人気を博すようなものは、その人気の理由ゆえに自分とは合わないのかと思ったりする今日この頃である。

私だって一応、定評のあるものを調べて、外れ率を下げようとは努力したんですけど、どうも裏目に出てしまうようです。しかしこの性質、今はあちこち試聴も出来るし、マイナーレーベルでもすぐ入手出来るからいいけど、国内盤で在庫のある奴を買うしかなかった時代だったら、キツかったろうなー。その頃はディスク一枚の価格だって高かったし、それ以外のものなんて知りようがなかったもんね(←知ったとしても試聴出来ないから高い送料と手数料払って博打状態)。

*1:この時点で複数揃えるのは、自分の以降の習性を知っているから。