イリス@京都コンサートホール(3)

(1) (2)を先にお読みください。舞台写真もついでにどうぞ。2幕はエロいでしょう?

さてあのエロエロ攻撃(分かる人は耐えなければいけない・・・・羞恥プレイか?)は2幕で終わりでして、そして2幕ラストでイリスたんはお父さんに罵倒され泥を投げつけられ、あっさり身を投げてしまうのでした。早っ!嘆きのアリアも無ければ狂乱の場も無く、台詞の一言すらありません。死に至るほどの病気や怪我を受けた主役であっても、何故かそこから長々と10分以上も高音を張り上げて歌うオペラ界の常識に反してます。なんて画期的なオペラなんだ!*1感心してる場合じゃない。

ところがこんなにあっさり死んでおきながら、何故か続きがあるんですな、このオペラ。一体何をやるってんだ?ちなみに2幕ラストは合唱と音楽で盛り上がり、ここで幕間の休憩が入ったら帰ってしまう人が続出しそうな幕引きでありました。この日は2幕と3幕の間に休憩はなく、それどころか舞台転換もそこそこに音楽が再開して、3幕の死後の世界が展開します。そして3幕で嘆きのアリアと狂乱の場でもやるのかと思いきや、屑拾い達のシーンなどを長々と展開した後に、男3人の身も蓋もないトークが入り(これはパイプオルガン横の京都コンサートホール名物・天上の見世物席から歌われました)、イリスの歌は一瞬で、再び合唱による太陽賛歌がはじまり、その間にイリスがあやめに生まれ変わっておしまいです。なお、この生まれ変わりをやるために3幕のはじめからイリスはアヤメ姿のドレスを着ているわけですが、最初はゴミに覆い隠されていて、歌うときも座ったまま全体像が見えないようにしていて、いよいよ生まれ変わりのシーンになると立ち上がって姿が見えるようになる演出なのですが、座っているときの肩出し姿に、さっきまでの着物が肌蹴て肩脱ぎ姿になっているところを想像してエロくてエロくてドキがムネムネしたのに、ドレスだと分かった瞬間、さっきまであんなにエロかった素肌がどうでもよくなってしまったのは、人間て不思議なもんです。やっぱりね、露わで当然のものに興味は湧かないわけですよっ!ビバ!チラリズム!!

正直3幕は「なんだったんだ一体」感が強いリブレットですが、しかし終わった後、なかなか考えさせられてしまいました。3幕のストーリーは、お父さんの台詞がイリスには一番辛くて、そもそも何がなんだか分からないうちに連れてこられた吉原では何がなんだか分からない目に遭い、やっとお父さんに会えたと思ったら罵られたわけです。そして身投げの後に聞く台詞が「冬に暖をとりたいときに火を点けてくれる者がいない、夏に涼をとりたいときに手を引いてくれる者がいない、わしが悲しいのはそれだけだ」というものです。これを聞いてもイリスは何を責めるでもなく、嘆きのアリアをやるわけでも狂乱の場をやるわけでもなく(←しつこい)、ただ「どうしてこうなってしまったの」と言うのみで、アヤメに生まれ変わっておしまいです。いやー(笑)。なんなんでしょうね、このストーリー。誰か解説してください。


これがイタリア人の書いた日本なんだと言われると、まあそうなんだろーなーとも思うのですが、ま、マダム・バタフライはもちろん、トゥーランドットだってアレですしねえ(←誤解されてんのは日本だけじゃないって意味で)。まあそんなもんなんでしょう。そういう目に遭っても黙って受け入れるのが日本女性のイメージなんでしょう。実際のとこ、日本女性のメンタリティにそういう要素が有りや無しやと言われたら、私はあると思います。それが良いか悪いか、自分で選択しているのか状況によってさせられているのかはともかくとして*2

これを観ながら私は、これを現代読替するなら、これは性犯罪に遭った女の子のお話だよねえと思ってしまいました。あまりにも暗くなるのでそんな演出はしちゃいけませんが、したら興業的にNGですが、そう思って見ると、民衆に面白半分に追い回される2幕ラストから身内に冷淡にされる結末まで含めてリアリティがあって、ゆえに気が滅入りますね。性的な価値ってものは、ときにはこういう結末になりかねない可能性を含みますわな。

さて、私の「いい公演」の定義によると、音楽的に満足するだけでなく、観た後にこういうことを考えさせてくれるこの公演は、いい公演でした。あなたにとっては如何でしょうか?

*1:これが某w氏なら、前世からの因縁を一くさり語って30分は引っ張ったに違いない。

*2:こう書くってことは、後者だって言いたいってことですよ。