アイーダ観ながら考えた

なんかどっぷり疲れた。オペラ観るって、体力使ってるんだなあ。入り込めないと全然使わないんだけどね。

主に土曜に観ながら考えたことを一応メモ。実は全くアイーダ関係ない・・・・少なくともアイーダの解説を求めているような人に参考になるようなものでは全くなくて、こういう話を見て自分の人生との接点を重ね合わせるような、全くパーソナルな話なんだけど。しかし私は思うんだけど、いい芸術体験ってのは、そういうパーソナルなところに訴えてくる、そうせずにはいられないような、そういう働きかけをしてくる種類のものこそがいい体験で、終わった後に演出意図を考えたり、作曲家やらリブレッターやらの意図を考えたりするようなものは既にその時点で違うと思うんだ。

で、何を一番考えてたかって、ラダメスがアムネリスの申し出を拒否するときに、あんなにはっきり、好きな人のことを好きだと表明出来て、いいなあと思ってしまった。羨ましい。ああ感想が腐ってる!そういうことを思う場面じゃないですよね、ここ。

一方で、好きな人の命がかかっているのに交換条件を出すアムネリスは、私には理解不能だなあ。まして、自分が告発してその命の危機が訪れているというのに。ストーリー上必要なのは分かるんですけどね。

だから私にとってはラダメスが拒否した時点でカタルシスが来て、だからその後アイーダは来なくてもいいんです。来てもいいけど、来なくても充分なんです。でもアイーダがやって来て、ラダメスが「僕の力でも棺の蓋は開けられない」と言うときはズシっと来ます。だからさっき締まった蓋のシーン(大勢の群集が引いて動かしていて、「僕の力でも開けられない」ことが説得力を持って迫ってくる)からはじまるこの演出は好きです。