アイーダ観ながら考えた(2)

薄々前から思ってたんだけどちゃんと言語化して考えたのは今回がきっかけなので。恋人にほだされて逃亡に同意する軍指揮官って、これとりようによっては(エジプトにとって)侮辱的な内容と受け取られかねないと思うんだけど、少なくとも外国人の手による全くの創作であったらそのリスクは避けられない要素を含んでいると思うのだけれど、しかしそうはならなかったみたいで、実際近い史実や物語の類が存在したのだろうか。

有難いことにびわ湖ホールで配ってたパンフレットが詳しくて、直接上記の答えにはならないんだけど、作品成立の経緯が詳しく載ってて、それによるとカイロの新劇場のために「エジプトをモチーフにした新作オペラを」という依頼によって作られた作品で、原案はエジプトサイドの用意したエジプト学者(フランス人)の手によるもの。ヴェルディが先の依頼を断った経緯から、原案を用意して興味を惹こうという作戦だったらしい。ヒントはここまでだけど、まあそれなら依頼側が怒ることはないということは分かる。全くの創作なのか元ネタがあったのかというポイントに対するヒントはないが、エジプト学者が作ったという経緯はいかにも下敷きとなった物語があるような気もするし、またエジプトでのリアルティや受け入れられやすさも考慮して作ったのであれば、創作である可能性も否定は出来ないかと思う。

つまり、考えたのは、アイーダって、いわゆる国威高揚のオペラと違うよねってこと。もちろん国威高揚オペラとは時代が違うし。また、マダム・バタフライとかトゥーランドットみたいな外国人によるある種無責任なオリエンタリズム*1とも違う。そういう後味があるなあと思った。

*1:アフリカに対するこの言葉はなんだろう。思いつかなかった。