京響定期2011年4月

本日は京響のニューシーズンのはじまりの日でした。とうとう定期会員になってお気に入りの3階席に収まっております。ちなみに私の京都コンサートホールのお気に入りは3階のB〜Dエリアであります。ここにいると、開始前の音出しのサウンドの時点で酔いそうです。ここら辺のエリアは2列又は3列になっていますが、天井に近い方が音が強く響く傾向があるので、大音量がお好みでない方は後列は避けた方が無難です。なお、Eから後方は全くお薦め出来ません。なんでこんなちょっと違うだけで全然音が違うんだこのホールは。

そういうわけで座席難民は卒業したので、座席レポは今後は無くなると思います。難民した挙げ句に納得の行く席を見つけたので満足です。ちなみに最後に収まった場所は、最初に偶然座って(今の)京響を聴いて「いい音じゃん!」と目が覚める思いがして以来通うことになった場所でして、結局最初に戻ったわけで、そういう縁があったのでありましょう。

最後に、これまでに経験して書き忘れてた1階席の印象ですが、何故か6列目では音が来なくて、9列目ではよく鳴っているように感じるという経験がありました。このホールは1階前方の客席の高さが低過ぎるんですよね。視覚的にも音的にも。次回座席を選ぶときはもっと後ろを選んでみようと思いました。

京都市交響楽団第545回定期演奏会
2011年4月22日(金)7:00 pm 京都コンサートホール
下野 竜也 (指揮)
ハイドン交響曲第100番ト長調「軍隊」Hob. I-100
マーラー交響曲第5番嬰ハ短調

前半はまあ良かったんじゃないかな。ちと地味だったけど。でもどこが軍隊なんだと思ってしまうのは私が軍隊を誤解してるからで、平時の軍隊なのでしょうね。珍しく表題音楽っぽい感想を述べてみました。聴いてる間はすごい色々思うけど、なんか帰ってくると忘れちゃうんだよね、表題的なものって。そんで、サウンドだけ残る。それが私の音楽の記憶である。みなさんはどないでっか。なんか、逆なんじゃないかという気がしてならないのだが。

後半が私的には一長一短でして、まず良かったものはホルンソロです。これは文句なしに堪能出来ました。あんなにホルンソロが聴けるなんて、なんて美味しい曲なんだ。音の質が全然違ってて、自分ところに真っ直ぐ飛び込んで来る感じがするんですよ。3楽章が協奏曲ばりにソロが入って、4楽章が弦楽とハープで、5楽章にまたホルンソロが戻って来るという構成なんですが、最後の方が伸び伸びとしていて「より良かった」印象でした。これが聴けただけで、今日行って良かった。

そんでもって、この後半は、ちとまとまりに欠けたかなーと。ちょっとだけ。何故か去年の高関さんを思い出して、あれは良かったと思ったりした(何故それより直近の1番を思い出さない?私の記憶はどうなってるんだ?)。4楽章なんかは悪くないんだけど。2楽章とか最終章とか。個々にはいいんだけど、セクション間のバランスがどうも。そういう同一タイムラインにおけるまとまりがどうも。あー、前半も悪くなかったから、つまり、大編成のときに出る弱点ということか。あくまでも京響定期内比較の問題で、外に出ればこれくらいorもっとまとまりに欠けるものがいっぱいあるので、こんくらいで言ってしまって申し訳なし。

何故か聴いている間に、無性に年末に聴いたKglカペルの小編成のストラヴィンスキーを思い出して聴きたくて仕方なくなった。一体何が私にそれを連想させたのだろう。何かあったんだろうな。

あと、これ、すごく贅沢な話なんだけど、いつもそう言いながら微妙なことを書いていて申し訳ないんだけど、もちろん演奏は良くて、良いからスペシャルを追求したくなる系の話なんだけど、ホルンソロは、去年の春〜秋くらいまではものすごい何かがあって、その音が鳴ると思わず両手を胸の前で握り締めちゃったりとか、そういう反応がつい出ちゃうような種類の何かだったんだけど、やっぱりそういうのはものすごい絶妙なバランスの上で成立していて、留めておくのが難しいというか、そういうのって長くは出来ないのかなーと思ったりした。もちろん全然、充分、ちょっと比較するものが思い当たらないくらい、いいんですよ!!その大前提の上のほんのちょっとの違いの話でして。やっぱ「なまもの」だなあと思うところはあった。刻々変わらざるを得ないんだなあ、と。当たり前ですかね。いいパフォーマンスを聴いた充実感と、ほんのちょっとの寂しさが混じった気持ちで会場を後にしました。