京響定期2011年9月/飴色の師匠

今日の定期は、今シーズンでも楽しみにしていた回でした。広上のおっちゃんの師匠であり、去年の夏に「この夏、日本で一番盛り上がった盆踊り会場」を感じた「管弦楽のためのラプソディー」の作曲家である外山雄三が指揮者だったのです。その結果は、期待以上のものでした。素晴らしく濃密な時間を過ごすことが出来ました。

と言っても、実は後半のラフマニノフしかまともに聴けていないのです。この日の京都は暑さがぶり返して外を歩いたら汗が滝のように流れ頭はクラクラ、会場に着いたら頭痛がするし汗が引かないしで、1曲目はロビーで休み、2曲目から会場に入ったのですが、まだ自分が湿ってる気がしたので隣の人にも申し訳ないし、途中でガクっとならない自信もなかったので、狭い自席エリアに入るのは止めて、近くの空席エリアに行って聴きながら休んでました。ついでに座席レポですが、そんな事情でいつも人気のない3階のAエリアにいたのですが、視界は背もたれにもたれると殆ど何も見えませんが、音は1、2階よりはよい気がしました。しかし後半で定番のCエリアに戻ると、音の解像度と生々しさが全然違うなあと思いました。

さて、その後半のラフマニノフですが、なんか、いろいろすごかった。こっくりしていて、濃厚な飴色の、弦楽器のボディのようなこっくりした艶のある、例えばニッキの匂いみたいな種類の、癖のある・どこか異国っぽい・民族情緒あふれた、そんな匂いに取り巻かれたような、独特の風味のある演奏だった。これをどう表現したらいいのか分からない。とにかく特別だった。

なんでそうなのかは全然分からない。特に1〜2楽章がすごかったなあ。たぶんアルト・サクソフォンなのかな、あんま見ない女性奏者(客演?)が入っていて、この人の音がすごく良かった。あと今日はイングリッシュホルン?(オーボエの外側)の人も良かったなあ。オーボエ(+イングリッシュホルン)とクラリネットのコンビネーションが絶品だった。今日は木管の引継ぎが完全に溶け合っていて、引き継いでいるのに継ぎ目がないみたいな引き継ぎ方をさせていて、同じ楽器がずっと演奏しているみたいな調子を保ったまま音色だけが変わって行って、すごく不思議な体験だった。ファンタスティック!指揮者も素晴らしいが京響も素晴らしい。他のセクションの支えも含めて、総体としてこれを達成してるのは、本当にすごいことだと思った。

広上のおっちゃんの師匠譲りのとこと、オリジナルのとこもよく分かった一日だった。細身で小さめと体型が比較的近いこともあって、指揮姿は結構似てます。外山先生はぴょんぴょんしたりサムズアップしたりしませんが(笑)。

前半のシベリウスも、シベリウスはやっぱりなんかあるよねって思う、サラサラしたシベリウスではなくてコクがあって後を引きずる演奏でした。残暑にノックアウトされてて本気モードで聴けなかったのが残念でした。いやあ、でも、外山先生、来年も是非聴きたいです。

http://www.kyoto-symphony.jp/concert/detail.php?id=88&y=2011&m=9&PHPSESSID=f002b695f82dd7741ac6750234f9cda7
京都市交響楽団 第550回定期演奏会
9月10日(土) 2:30pm 京都コンサートホール
外山 雄三(指揮)
有希 マヌエラ・ヤンケ(ヴァイオリン)
モーツァルト:舞踊音楽「レ・プティ・リアン」K.Anh.10(299b)
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調op.47
ラフマニノフ:交響的舞曲op.45

この日の情報を今見直して分かりましたが、レセプションがあったんですね。残って、一言素晴らしかったと伝えてくれば良かったなあ。

追記

この日の印象、一晩寝た後も濃厚に残っていて、胸がかきむしられるような感覚がずっと離れなかった。熱烈な、切実な、郷愁・・・なのかなあ。こういうものが音を通して伝わるのが本当に不思議です。音楽って不思議。