アルカイックホールでオペラ

イル・トロヴァーレ@関西歌劇団のレポを書くつもりで書きはじめたら、何故かアルカイックホールレポになってしまったので、とりあえず前半ということで、先に投稿。オペラ本編はまた明日以降に。ちなみにこれは、帰りの電車の中で書いた文章だったりします。


今日は2回目のアルカイックホールでのオペラ鑑賞でした。で、初回の鑑賞に書いたように、あのときのオケが立ち過ぎるという現象が果たしてホールのせいなのか演奏側のせいなのか確かめようと構えて来たのですが、やっぱりホールのせいっぽいです。どっちかというと舞台の音が来ないというよりは、オケがガンガン来過ぎてバランスが悪いみたいです。前回と同じ2階の中盤あたりで聴いたのですが、オケの音がかなり生々しく直接飛び込んで来る感じで、さらに、中央よりは上手に陣取ったのですが、そのせいで同じ側に位置する金管群がガンガン来ること来ること。トランペットやトロンボーンが来過ぎてうるさいです。アルカイックホールでは、特にオペラでは、もっともっと・ずっとずっと・控え目にして頂きたいですねえ。大音量で無理矢理興奮させるロックコンサートじゃないんだから。

そもそも音の質が違ってて、オケピの音がまるで突き刺さるように直接来てて、舞台からの音はそれと比較すると間接的になるので(これはあくまで比較の問題として、ですが)、仮に音量がバランスしていても、オケが立ち過ぎるんです。オケピからの音が生々しいのでオケコンならいいのかもしれませんが*1、オペラの場合は聴きたいバランスが逆なんですよねえ。

もっとも私は他のホールでは正面には座らないので、正面に座ったらどこもこんなもんなのかもしれませんが・・・いや、やっぱりそれだけじゃないな、あの突き刺さる音は。ところで、そんな正面を避けている私が何故2回も2階正面なんて場所に座っているかというと、このホール、サイド席がないんですよ。パリのバスチィーユのようなプロポーションで、奥行きが浅く左右に広く、客席は舞台から末広がりになる扇形のような構造です。2階席から見た舞台はかなり近く、ある程度の座席数を稼ぎながらどの座席からも舞台が見切れなく見えるように意図された構造なのだと思います。実はこの構造は上海大劇院と共通でありまして、特に2階席(上海では3階席も)からの舞台の観え方がそっくりです。で、幕間にスタッフの方を掴まえて聞いたら、やっぱりバスティーユを参考に(というか教わって)作ったそうです。未だにオリジナルには縁がありませんが、コピーばかり2会場も縁があるという。ちなみに、音に課題を感じたのも共通でした。課題の原因はそれぞれ違ってて、上海大劇院は舞台の音が減衰してしまう(それも均一に減衰するのではなく周波数に歪みが出るようなタイプの減衰の仕方っぽい)という根本的な問題があるのに対して、アルカイックホールの方は舞台の音は悪くなくて、でもオケピの音がもっと生々し過ぎるためにうまく行かないという皮肉なメカニズムであります。いやー、世の中うまく行かないもんですね。


ついでの音響話ですが、私的には、こういう生々しい音響は、単独では悪くない音響なんです。今回は舞台からの音とのバランスがネックになってしまいましたが、それ抜きで単独の音という観点だけで言うと、悪くないです。今回の結果なんかでいうと、音響が良過ぎて、オケピからの音が生々しくなり過ぎたゆえに、舞台上の音との質の違いがバランスの悪さとして感じられたと言えるかもしれません。音響が良過ぎるってのは、そもそもどんなシチュエーションで使うか釈然としない言葉でありますが*2、あえて言うなら、こういう状態を指す言葉じゃないかと。私的にはそうなんですが、日本のホール(の素人評)では、良く響くホールが音響の良いホールとされているなんみたいで、そういうのって、どんな演奏でも似たような印象になっちゃうだけじゃないかと思うのですが(だから良いのかもしれませんが)、まあ、そんなことを思い出したりしました。どのみちアルカイックホールのこれは、舞台の音じゃないんで主役になることはないので皮肉なのだが。

ではオペラ本編は後ほど。

*1:でもオケコンではオケはステージに上がってしまうので、この生々しい音響が主役になる機会はない皮肉な事態なのだった。

*2:普段こんな良い音響に慣れてたら、他の環境で耐えられなくなる的な意味で「音響が良過ぎる」とか?あるいは、子供に与えるおもちゃにしては「音響が良過ぎる」とか?