キエフ国立フィル@京都コンサートホール

これはまた珍しいプログラムだったなー。録にプログラムも知らずに会場に足を運んだのですが(←予習しろよ)、ヴァイオリン協奏曲が終わったと思ったら、またヴァイオリン持ったソリスト(しかも1曲目とは別の人!!!)が登場して目がまん丸になった瞬間でした。

京都・キエフ姉妹都市提携40周年記念
キエフ国立フィルハーモニー交響楽団
2011年12月3日(土)2:00PM開演(1:30PM開場)
京都コンサートホール (大ホール)
指揮:ニコライ・ジャジューラ
[プログラム]
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64 (Vn:川畠成道
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35 (Vn:イヴリー・ギトリス
ドヴォルザーク交響曲 第9番 ホ短調新世界より」 op.95

本日の感想に入る前に、私と協奏曲の話を少し。この日のコメント欄にまとまっているのですが、私は、どうにもこうにも協奏曲が聴けない奴でありまして。

http://d.hatena.ne.jp/starboard/20111119#c1321899731

  • 私は京響の定期、協奏曲系がそもそも苦手気味で、オケだけの方がいいと思ってたり。協奏曲って、録音聴いてると気にならないバランスがライブでは気になったりします。折角多彩なソリストを揃えようと頑張ってるのに値打ちない聴き手でスンマセンて感じです。これまで聴いたのでしっくり来たのは、びわ湖ホールで聴いた京響竹澤恭子のときだけでした。http://d.hatena.ne.jp/starboard/20110417
  • 協奏曲のバランスって難しいですよね。繊細系の音色を出す方(楽器も)だとライブでは席によってはかなり印象が違ってしまいますし。
  • 協奏曲、難しいですよね。京都コンサートホールでしっくり来ないのは会場効果なのかな。竹澤さんのときはオケがすごく控え目で、私はそれまでむしろ逆(ソリストが強すぎで違和感)なのかと思ってたから、新鮮な驚きでした。
  • >むしろ逆(ソリストが強すぎで違和感)
    あれれ、そっちですか。
    うーん(゜_゜)
    大抵はオケに埋もれるパターンだと思うんですけどね、、、違うのかな?
    (この場合もオケはなるべくソリストをたたせようと頑張ったりしてます。上手くいったりいかなかったり。どの程度が一般的に良いのかは私には分かりませんが。。。)
  • そっちですねえ。ソロ楽器が大きいってよりは、強過ぎるって感じです。ピアノをバンバン叩いてるような、そういう種類の強さ。正直、埋もれたのを聴いた記憶はないです。・・・ちょっと疑惑が。わたしの好きな演奏家って、多くの人にとって「弱い」「よく聴こえない」らしいんですが、わたし的には「これが聴こえないなんて、どんな耳してんだ」って感じなんですが、たしかに録音で音量を絞って行って、聴こえるか聴こえないかくらいに設定すると、先に聴こえなくなるんですよね、その音。あの状態がみんなが聴いてる状態なのかーと思うと、あまりにも世界を共有していないことに気付いて、直視したくないような。

まあでもオケコンに熱心に通っているわけでもなく、京響の定期と、京響の出張公演と、京都コンサートホールになにかが来たときと、声楽の入るプログラムでソリストが気になったときくらいしかオケコンに足を運ばないので、そんなに色んなパターンを経験してるわけでもないのですが、その乏しい経験で言うと、ソリストが強過ぎて違和感を感じることが多かったのです。多かったというか、ただ1パターンの例外を除いて、そればっかでした。本日は、その協奏曲の謎が自分なりに解けた日でございました。

本日の座席は久々にP席エリアに舞い戻り、しかもP席の1列目のド真ん中、指揮者の目線の真ン前です。3列目のややサイド辺り*1に陣取ることを好む私としては珍しいポジションです。ここの音の特性を、同じP席3列辺りの音が直撃する感じと比較すると、オケに包み込まれる感覚というか、自分がオケの一員になった感覚が強くなる場所です。

で、さっそくメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が始まったわけですが、どうも大人しい演奏だなーというのが正直な印象でした。これは、いつもの印象と比較して、このデッドな京都コンサートホールに特化している京響の演奏が念頭にあるから、いつもは普通のホールで演奏しているオケがやればこんなものなのかなー(シカゴ響とそのホームの関係を連想中・・・)と思いつつ聴いておりました。そして今日もソロ・ヴァイオリンがバンバン叩いてるなー、協奏曲ってこういうもんなんかなーーー、まあ私が勉強不足・精進不足だから協奏曲の聴き方が分かっていないのであって、いつかその魅力が分かるようになるのでしょう、と思って座っていました。

さてここで休憩です。そして休憩から戻って、オケのメンバーがゾロゾロと出てきて、そして明らかに団員の入場とは異なるタイミングで、なにか浮浪者みたいなヨレヨレのじっちゃんが、ヴァイオリンを片手に出てきました。えええええっ?!と思ってプログラムを探します(だから予習しろよ)。しかもじっちゃんのヴァイオリン、裏側に日曜大工みたいなウレタンクッションが針金で留めてあるのが丸見えです。服装も、形は一応フォーマルなのですが、着込み過ぎてヨレヨレなのか元々そういうものだったのか、昔読んだ小説にそんな設定あったなーと*2思い出させる代物です。小説を思い出すほど現代日本ではリアルじゃない出来事で、ハレの場である舞台の上と思えない風景です。

ところが、そのじっちゃんがヴァイオリンを肩に乗せて試し弾きすると、なんと!全然違う音がするのです!!!さっきのと同じ楽器?!?!?!これが???!どえらい吃驚しました。浮浪者とか言って申し訳なかった。しかも演奏前に客席の前の方に向かってなんか喋ってるよ。

そんでねえ、演奏をはじめたら・・・ものすごく分かりやすく誰が聴いても「いい音」みたいな音じゃないんですよね。かなり枯れた音で、掠れ音で、ヒューヒューと鳴るようなときもある。ところが、今度は協奏曲がものすごくしっくり来ました。全然バンバン染みたところがないし、他の楽器と会話してるし、必要なところはオケの一部にちゃんとなってるし。音自体は、さっきと比べると格段に小さかったと思います。小さいというか、抜いてあるというか、OFFの音なんですよね。OFF、OFF、OFF、ずーっとOFFで、すごくたまにON、またOFF、OFF、OFF・・・。そうだ、こうあるべきだ、私がしっくり来なかったのは、ずっとONの音を聴かされていたからなんだと思いました*3

しかしそんな私でも、前半のソロのうちとあるくだりは、これは難解過ぎて客が付いてこれないのでは、と思う瞬間もありました。楽譜にあんなこと書いてあるんかいな、という(←だから予習しろよ)。まさに演奏が滑りすぎてしまったというか先走り過ぎてしまったというか客が(というか私が)置いてきぼりになった瞬間でした。しかし、それは本当に一くだりだけの箇所でありまして、いつもの何やってんのかさっぱり分からないただ力技だけで時間が過ぎる演奏と比べると、全てに渡って見通しの良いものとなっていまして、ソロだけでこんなにもそれがきっぱり分かれるという、そのことが不思議でした。

アンコールは浜辺の歌のアレンジ(おそらく即興)をやってくれました。これを聴いていると、さっきの先走り過ぎたところは即興が過ぎたのだなあと確認出来ると同時に、こうやってオケにマスクされないソロの音を聴くと、音そのものがすごくよく鳴っている・・・と書くと大きな音が出ているように受け取る人がたまにいるので念のため書いとくと、これは、ringの鳴るでありまして、まさに音が鈴を転がすように鳴っているのであります。しかし基本の音は、さっきも書きましたが、ものすごく分かりやすく誰が聴いても「いい音」みたいな音ではないのでありますが、でも、そういう音がこういう鳴る成分を持っているというのが面白いところであります。しかしこれ、曲が進むにつれ、どんどんアレンジが過ぎて、私が感じるところによると、おそらく会場でこういったことにすごく適した聴衆にやっと通じるが通じないかくらいで、殆どの観客は置いてけぼりになってるんじゃないかと思う節もありました。原曲とはまた別の「なんかすごいもの」の雰囲気を感じて、みな大いに満足したらしいのでよろしかったのでありましょう。なんというか「一周先を行き過ぎて理解されない天才」みたいなことを気にしていたら、二週か三週してる人を目の当たりにして目が覚めたような、そんな印象の本日でございました。

ってレポが終わってしまうやん。この後に新世界があって、1曲目よりは大分聴けるようになって、細部の音も耳に入って集中出来るようになったけど、やっぱ大人しいなあという印象は変わらず。悪くは無いけど、特別はなかった。でもスペシャルなソリストと出会えたし自分の中の協奏曲の謎も解けたし*4、忘れられない一日でした。

*1:サイドブロックのセンター寄り端席が、視覚的にも、やや斜めにポジションを取って足を伸ばした体勢が自然になるという意味でも、広々として好きなのです。

*2:かつては裕福でそういった服装をするクラスの人間であったが貧乏になって久しく、すっかり着込まれクタクタになったが本来は上等であったのだろう服を着て現れるってシーン、ありがちじゃありません?

*3:これは声楽でも同じで、今の国際標準は、音が、ずっとONの音なんですよ。たまに抜いてもその箇所が例外であって、ONとOFFのリズムが、全く逆なんです。

*4:この後の問題は、自覚してしまうと、いつでもそれを求めてしまって毎回無いもの強請りしてしまうことだ。