ドン・ジョバンニ@びわ湖ホール(2)

この記事の続きです。

今度は音楽面です。まず歌手陣については、タイトルロールの黒田さんが、なかなかきめ細やかな歌唱で、特に音の着地のさせ方などで感心する部分が多く、良かったと思います。ただしこの方、本来はかなり美しい音を出してるんですが、その良さがオケにマスクされやすい声質で、そこが惜しかったなあと思いました。そういうわけでリート伴奏のセレナーデのところなんかは本当にうっとりするような時間であったのですが(ここまで聴けたのは本当に素晴らしいことでした)、レチタティーヴォで伴奏が殆どない瞬間などもかなりいいのですが、あの調子でオケ伴のところも歌っているとしたら、それがなんとも分かり難くなっていたので、実に勿体無かったと思いました。

あと良かったのがドンナ・アンナ。二幕のアリアなんかは、ちょっと言い表せない感じによくて、つまり分析的に聴けないくらい引き込まれたということでありますが、そういうわけでこのアリアがこの日一番の喝采をもらったのではないでしょうか。全体としては、そういう音楽によるオペラの魔法の瞬間が少なかった本日の公演の中ですが、アンナのアリアのときだけは魔法があったと思いました。

ツェルリーナも良かった。まっすぐな感じで、無自覚なツェルリーナを好演していたと思います*1。エルヴィーラは今日は分からなかったなあ。レポレロはもうちょっと滑らかかつコミカルにまわして欲しいなあと思って、オッターヴィオは私にとってウェルカムでない声質勝負でニュアンスに乏しいタイプでしたが、オッターヴィオのキャラにはよく合っていたと思います。マゼットは歌唱的には存在感が薄く、騎士長は充分だった。

それから、昨日書き忘れてましたが、女性陣の衣装が、スカートの中身を意識させる衣装というか、スカートが全周なくてどこか欠けてて中が一部見えるという趣向でした。


演出に関しては、矛盾や疑問が多々ある舞台でしたが、あえて矛盾を作り出しておいて、それを超える魅力がジョバンニにあると言いたかったのかなと思いました。つまり、マゼットカップルを現代人に置き換えたのは、時代を超えても惹かれるだけのものがあるということで、ツェルリーナがジョバンニの悪事をずっと見ていたのにそれでも付いていってしまいそうになるのも強調の一種で、エルヴィーラやアンナの行動もそういう意図なのかとは思いました。舞台にいる白い女達も、ずっと不可解な存在だけど最後に分かるという仕掛けなわけで、新国とかの捻った演出が好きな人はこういうの評価するだろうなーという感想でした。ただし、私は以下に書くような理由で、あまり・・・でした。こういう評価なのに演出について長々と書いたのは、理解出来なかったから低い評価になったと受け取られかねないので、そうでないことを示したくて書いたって感じですかね。

私がこの演出あまり好きでない理由は、音楽面に対してあまりよい影響を与えない演出であるように見えたからです。今日は、演奏が、特に何が悪いってわけじゃないけどどうも生き生きしていないように感じられ、歌手も、個々には素材的にはいいんだけどドラマ的な盛り上がりにいまひとつ欠けるように感じられ、それは演出によってリブレットやそのシーンに付けられた音楽とチグハグな動きをさせられていることと無関係ではないように私には感じられました。

さんざ疑問を持たせられて、最後にそれが解決するわけですが、そういうのはその解決したその瞬間はちょっと面白いし、音楽評論ぽい文章をブログで書いたりしてるクラファンには奥が深いとか言われてウケそうな予感もしますけど、私としては、やっぱり、その前の時間にさんざ見せられた音楽のチグハグさは埋まらないんですよね・・・そんなわけで、総合評価は中くらいです。今日のは3者の共同制作とはいえ、実質東京の二期会の公演でしたかね。びわ湖ホールの公演としては、やっぱりオペラの魔法の瞬間を観せてくれないと、それを歌手だけでもオケだけでもなくチームとして観せてくれないと満足出来ないなー。それが私がびわ湖ホールに求めるものです。

*1:ツェルリーナは自覚的な小悪魔といった印象があるかもしれませんが、私は、無自覚にその瞬間々々に対して素直に行動した結果、他人から見ると計算高いように映って見えるだけで、それは計算高いわけではなくて真逆で、その瞬間々々の自分の気持ちに素直過ぎて、自分の行動間の整合性などは全く意に介さない・気にしなさ過ぎるという人物造形の方が、そこそこ可愛く生まれついた庶民の女の子の一類型みたいな意味でリアルだと思ってます。