王女メディア@京都労演

京都会館の関係で知り合った京都労演さんの公演に行ってきました。日本で生で演劇を観るのは、ものすごく久々。というわけで、普段演劇を見慣れていない者の相場無視の感想ですので、そのつもりで。

幹の会+リリック プロデュース公演『王女メディア』
2012年2月6日(月)18:30
京都会館第2ホール

●エウリーピデース 原作/高橋睦郎 修辞
●たか瀬久男 演出
●平 幹二朗・城全能成・若松武史三浦浩一 他

 ギリシア悲劇の三大作家の一人エウリーピデースの代表作『王女メディア』。平幹二朗は1973年に男優としてメディア役に挑み、「長く記憶に残る演技」と高い評価を受け、83年にはアテネの舞台に立ち、30分近くに及ぶカーテンコールに包まれました。男性の地声で演じられるメディアは強烈で猛々しく、人間の悲しみや怒り、様々な感情を大きなスケールで浮き彫りにします。伝説の平幹二朗の『王女メディア』が新演出で蘇ります!

タイトルしか知らずに行ったので、なんとなくファンシーな舞台かと想像していた。だって「王女なんたら」だし。そしたらギリシャ悲劇だった。子供の頃の趣味が古典芝居の脚本を読むことだったので、有名作品は一通り読んでいたつもりだったが、この作品は知らなかった。

ギリシャ悲劇の実演を体験するという意味では良い経験になった。音楽経由で馴染んでいたコロスの役割なども、なるほどこういうものかと思った。男性によって演じられる女性役というのも、すっと入れた。男性の声だと、非常に年配の女性ばかりという印象にはなったけれど。舞台に近いが全体が目に入るよい席を手配してもらえたこともあって、浴びるように聞く演じ手の肉声の魅力もすごいと思った。主役による、非常に日本的なセンスの、歌舞伎のような抑制の効かせ方の声・表情というのも新鮮だった。

・・・ただ、2日連続で似たような評価を出して申し訳ないのだが、その瞬間々々のインパクトの割に、どうも舞台で進行しているドラマに入れなかった。最近こういう種類の迫力慣れをし過ぎてしまっているので、それもあるかもしれない。どうも自分の頭に、醒めたようなところが残ったままだった。外国語での演劇(シェイクスピア劇)だと割と入れる方なので、その経験と比較して、日本語による近過ぎる距離感、細かいところまで分かり過ぎて自分の側に余裕が出来てしまうがゆえに醒めてしまうところがあるのか、あるいはギリシア悲劇の素材や様式のせいなのか、と考えたりした。

ついでに考えた様式のこと

オペラは比較的しょうもない公演でもああいう醒め方はしないなーと思って、何故なのだろうと、様式について考えながら帰った。音楽がずっと時間を埋めているからなのだろうけど、オペラってのは(日本では難しいと思われているけど)娯楽の様式としては、比較的楽というか怠惰でも着いていけるというか、観る側にスキルを要しない様式ではないかと思ったりした(好き嫌いはあれど)。もちろん深く味わうには色んなスキルがいるのだが、初心者でもそれなり、知れば知るほど面白いということでは、やはり続いているだけのことはある様式なのかもしれない。演劇は様式ということではずっと自由だけど、様式があるゆえに様式に縛られつつ助けられるという面もあるかもしれない。