ホールレポ/愛知芸劇

地下鉄の栄駅からうんたら21の広場に出ると、必ず直進してしまって、行き着くところまで行ってから「おかしいな」と思って振り返ると逆向きの矢印が出ているので戻って、やっと愛知芸劇のビルの入り口に辿りつく。時計の針で15分進めばよいところを、逆向きに45分歩いて辿り着く世界である。というパターンを踏んでから、実は去年の6月にも全く同じことをしてしまったことを思い出した。再現性があるということは、何か理由があるのだろう。

建物の中に入って、やたらうねうねと歩かされる。クロークがない。どこまで進んでもクロークがないので、行き当たったところで係の人に訪ねると、遥か下の階だと言う。疲れた。上階席に陣取るのが悪いのだろうが、そこの音が好きなんだから仕方ないじゃないか。

ロビーが狭い。ロビーなのか廊下なのか分からん。ビルの中に吹き抜け空間を作ってガラス越しに見えるようにして視界を稼ぎ、実際の床面積が小さくても広々というコンセプトだったのだろうと思うが、成功してない。その吹抜け部分が、なんというか、よい眺めでない。百貨店ですらなくショッピングセンターのセンスである。オペラで行った反対側の大ホールでもそんな感じだった。どこ行ってもせせこましい。これでは幕間が貧し過ぎる。劇場としての格が感じられない。もっとも京都市が作ろうとしている建物は、これよりホワイエが狭いのだが。東京文化会館の時代から後退してるのは一体どうしたわけだ。敷地に対してホールのスペックを欲張り過ぎて、妥当な計画をしないからこうなってしまうのだろう。

休憩時間に もとい飲み物でもと思うと、行けども行けどもない。もっと目立つところ・動線の途中などに置いて、行く気のない人でもつい寄ってしまうくらいにしておかないとダメじゃないか。やっと回り込んだ隅の一角にあるビュッフェを見つけると、大した行列でもないのに一向に進まない。やっと列が進んでカウンターに近付いてみると、なんと千八百席のホールの休憩時間なのに、店員一人で対応している!(驚)なんじゃこりゃあ〜! 某ホールでは店員十数人でも「足らん!」と怒ったりして、正直すまんかった。その辺でうろついているホールのねえちゃんはやたら多いのに、これは一体どうしたことだ。その辺に飲食店が一杯あるんだから、休憩時間だけでも応援を頼んだらどうか。売る気ないのか。「列が進まないので、みんな並ばない → 売れないから人を増やさない」の緊縮スパイラルが発生している。やっとワインをゲットしてビュッフェのカウンターに陣取ったら、窓の外の夜景がダサかった(・・・・・←心の中)。



ところでこっからは愛知芸劇とは全く関係ない話であるが、こういうスペックいっぱいいっぱいで欲張った余裕のない世界に富裕層なんか来るわけないだろう!試しにそういうクラスのホテルに泊まった後に、こういう建物を経験してみたら分かる。もっとも向こうは、本当に呼び込めるかどうかはどうでも良くて、そういう口実で金を引き出して工事さえ出来れば良くて、全く結果にはお構い無しなのだから、困ったものだ。これが、自分の金で投資して結果も自分の懐に響くとなれば、絶対にこういうことは起こらない。万が一起こす馬鹿がいたら淘汰される。ところが、延々とこういうことを繰り返して良い世界というのが世の中には存在していて、恐ろしいことに、そういうことを繰り返せば繰り返すほど関心が薄れて益々好き放題出来るという仕組みになっているのだから・・・・重ね々々困ったもんだ。