カプレーティ家とモンテッキ家/京都オペラ協会

かなり頑張っていたと思う。京都オペラ協会は「若手音楽家にオペラへの出演の場を提供するとともに、一般の方が気軽にオペラを鑑賞できるように、リーズナブルな入場料金とすることに努めています」とのこと。大賛成だ。子供向けのゲネプロ公開も行っているそう。

この会場は数年前は会議のために毎週通ったものだが一度もホールに入ったことが無かった。千席ほどのホールだが中にいるともっと大きい感じがする。竹林を人間の目線で見た風景をデザインした緞帳が長岡京らしくて目を引く。

プログラムの表紙に「1920年代シカゴ設定の斬新な演出」とある。なるほど。こういう記載はたしかに必要かもしれない。セットなどはミニマムな感じ。最近は国内制作団体の公演も演技が細かいので、演出、特に演技面が一昔前のような印象を持ってしまった。演出は低予算でいいから、言葉を大切にした演技付けをして欲しい気が。


作品の方はベッリーニらしく美しい旋律が山盛りで、特に先日も聴いたジュリエッタの登場時のアリアは本当に美しい。しかし、終わってみると、消え入るような余韻が残っているばかりで、親しみやすく思わず口ずさんでしまうような種類の音楽ではないのが、ベッリーニの作品がこれだけ美しくても超人気作品というのとは違う存在になっている理由なのだろうか。

自由席なので前半は1階後方で、後半はバルコニーの舞台寄りで見たのだが、1階だとオケピットが浅いせいもあってオケの音が立ってしまって歌唱の細部が分かりにくい。バルコニーの舞台寄りは細部に集中出来る。こうなると大分印象が変わるものだ。細部が分からないと声質や声量が全体の印象を決めてしまい、細部が分かると歌唱自体に集中して聴くことになる。それぞれのパターンでは誰が映えるかの印象が殆ど逆転してしまった。とは言っても、今日はソリストが粒ぞろいだったのでそんなことが起こったのだろうが。

この作品では男性ばかりの中にジュリエットが紅一点的な存在で、しかし声楽的にはロメオがメッゾで入るという構成。ロメオの小林さんは歌唱の存在感が、ジュリエッタの三村さんはベッリーニ節によく合った声質や芸風で、主役2人がよく合っている。男声陣は父親の東さんが声そのものの押し出しが強く、ロレンツォの迎さんは心地良いがちょっと複雑な魅力のある声とニュアンスを持っているが、過去の公演からこの人に対する期待水準は非常に高いので、今日は程々かな*1。男声の低声2人が若いので、そこは隠しようがなく若いので、いつもと逆の違和感がある(笑)。竹内さんはロメオとの重唱のときは良かったがピンがなんとなく弱い。

このリブレットではロメオとジュリエットは既に強く想い合っているという前提でスタートするので、2人の関係よりは両家の対立に焦点が当たる。タイトルの通りだ。ちょっと残念だったのが、1幕の最後でモンテッキ家の一味が侵入して大騒ぎになるところで大騒ぎの視覚的・音的な臨場感が全然なかったのと、最後の「誰が殺した」の部分があまりにもあっけなく終わってしまって、あそこに音楽的な力点がなく通り過ぎてしまったことだろうか。

2012年6月24日(日)長岡京記念文化会館
京都オペラ協会定期公演
『カプレーティ家とモンテッキ家』〜ロミオとジュリエット
ベッリーニ作曲(全2幕)イタリア語上演(日本語字幕付)〜
総監督・演出=ミッシェル・ワッセルマン
指揮=小崎雅弘
管弦楽=京都オペラ管弦楽団
合唱=京都オペラ合唱団
ジュリエッタ:三村浩美
ロメオ:小林久美子
テバルド竹内直紀
カペッリオ:東平聞
ロレンツォ:迎肇聡

*1:そんだけハマってるときがすごいということですが。